行雲流水

ごきげんよう

ポピュリズムへの反撃 現代民主主義復活の条件


ポピュリズム全肯定するわけでも全否定するわけでもなく、いかに向かい合うべきかを説いた本。

「大衆主義」と訳されることもあるポピュリズムだが、その定義はイギリスの政治学者・クリックによると「政治指導者が多数派(政治統合体の外側に追いやられていると感じる人々)と信じる集団を決起させることを目的とする、ある種の政治のレトリックのスタイル」となる。

ポピュリズムには単純な敵を設定してそれを攻撃するという形で民衆の不満に付け込んで支持を得るという側面もある。反官僚、猟官制を掲げて「普通の人」を積極的に政府の役職に登用しようとしたアメリカのジャクソン大統領のジャクソニアン・デモクラシーや「構造改革」に異を唱える者を「抵抗勢力」と見なして攻撃した日本の小泉政権はその例である。

この他ポピュリズムに特徴的なのはステレオタイプである。これは「自分の周囲の秩序(平穏な日常)を犯罪などで乱されたくない」という秩序感覚、「人はステレオタイプを通してしか物事を見ることしかできない」(リップマン)という論に由来する。悪化すると、マンハイムの言う「虚偽意識」=ステレオタイプイデオロギー、という形で体制批判を悪と見なすポピュリズムに発展する可能性もある。「自由な社会に異を唱える奴は自由の敵」と。あらゆる問題を市場や自己責任の問題に帰してしまう「社会的偏見」(バクラック&バラッツ)を正当化することにもつながる。

著者はポピュリズムに対してはポピュリズムで反撃することを主張する。例えばプレカリアート(貧困)問題に取り組む雨宮処凛氏の活動はポピュリズム的な側面があるが、こうした活動を通じて若者が今置かれている不利益な状況を知らしめるという意味では当然であると言う。下手に「ポピュリズムなんて迎合はできるか」とお高くとまるより効果的だと思う。そうやっていい子ちゃんのように振る舞う人に限って体制迎合的である気がする。

昨年、政権交代が起きたが、政治の迷走はまだ続く。民主党の体制や政策の問題点の指摘は他の本に譲るとして、この本では丸山眞男が言うところの「政治はベストの選択である、という考え方は『お上にお任せ』の権威主義から出る過度の期待に結びつきやすい」ということを主張する。

今の日本はまさに政権交代への過度の期待が薄れ「今気付いた。民主党は嘘吐きだ。騙しやがって」というような風潮がある。こういう前から予想されたであろうことを今更初めて知ったかのようにイノセントに驚いてみせることは罪深い。マスコミが作り出した虚像だろうが、これも権威主義がそもそもの源流か。同じ「よろん」でもその場の感情に流されやすい「世論」(popular sentiment)よりも熟議を経た「輿論」(public opinion)を語り、政党間対立の論点を明確化した上での政策協議をする必要がある。

民主主義政治においては声を挙げなければ意見は反映されない。そもそも政治とは社会的資源、サービスの分配であり、その恩恵に与れない者が異議を唱えるのは当然である。その異議の内容の問題点を指摘するならともかく、「主張すること自体間違っている」というのは紛れもない権威主義である。異議を唱える過程がポピュリズム性を孕んでいたとしても、それ自体は責められるべきではないだろう。