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L'aube de l'horizon

ごきげんよう

『漢書』を読もう―その1:項籍列伝編

前漢 中国史

さて、先日紹介した通り購入したちくま学芸文庫版『漢書』。これを読まないで死蔵させておく手はないので、読んでその内容と思う所について記しておこうと思います。初回は「陳勝項籍列伝第一」の項籍列伝から。

項籍とは言うまでもなく項羽のこと。『漢書』で陳勝と同列に立伝されているということは、彼と共に劉邦以前に君主の号を僭称して討伐されたされた人物として扱っているため*1。さらに、国盗人扱い*2。『史記』で項羽本紀を立てられていることとは対照的な扱いである。

項羽の事績については以前から把握していたが、読んでいて気になった点を一つ紹介。それは籍→羽と途中で呼称が変わっている点について。いろいろ考えた末、「羽」と言う呼び名は劉邦を意識したもの、という仮説に至ったが、それは後述。

どの時点で変わったのか調べてみると、それは秦の二世(胡亥)元年(前210)と翌二年(前209)の間だった。

こちらは列伝の中で最後に「籍」の名が用いられた箇所。会稽郡の将となった叔父の項梁に従って同郡の副将となったときの記述。

梁為會稽將,為裨將, 徇下縣。 『漢書』卷三十一陳勝項籍傳第一

「籍」は諱で、よく知られる「羽」の方は字である。項羽は前210年の時点で23歳(数え年)なので、単に成人したから呼称が変わったとは考えにくい。

そして、こちらが翌二年、陳勝呉広が挙兵し、項梁ら群雄も秦に反乱した年の記述。

梁前使別攻襄城,襄城堅守不下。已拔,皆阬之, 還報梁。聞陳王定死,召諸別將會薛計事。時沛公亦從沛往。 同上

秦将・章邯に派遣した武将を撃破された項梁は、項羽に秦の襄城を攻撃させた。項羽は守りの堅い襄城を落とすと、兵をみな阬(生き埋め)とした。一方で項梁は陳王(陳勝)の死が定かであることを聞き、薛に諸将を招集し、会合で今後の計画を決めることにした。その時沛公(劉邦)もこれに従った。

史記』で羽→籍と呼称が変わった時点も全く同じ時期*3 *4。『史記』も『漢書』も劉邦が登場した時点で呼称が切り替わっているので、「項羽」は劉邦を意識した呼び名であると私は考える。

なぜそうなるのかまでは現時点では不明だが、管仲とか諸葛孔明とか蒋介石のように諱より字の方が有名な人との関連性がわかれば… ううむ。

余談だし、全く脈絡はないが、隋末の群雄で、唐の宰相として有名な魏徴の最初の主君であった李密がなぜ『漢書』の列伝の方を好んだのかは良くわからない。今度調べてみようか。

嘗欲尋包緂,乘一黃牛,被以蒲韉,仍將漢書一帙掛於角上,一手捉牛靷,一手翻卷書讀之。尚書令、越國公楊素見於道,從後按轡躡之,既及,問曰:「何處書生,耽學若此?」密識越公,乃下牛再拜,自言姓名。又問所讀書,答曰:項羽傳。 『舊唐書』卷五十三李密列傳第三

*1:三国志』蜀書の冒頭が劉備以前の蜀一帯の支配者であった劉焉、劉璋の列伝であることと同様か。

*2:上嫚下暴,惟盜是伐, 勝、廣熛起,梁、籍扇烈。 赫赫炎炎,遂焚咸陽,宰割諸夏,命立侯王,誅嬰放懷,詐虐以亡。述陳勝項籍傳第一。 卷一百下 敍傳第七十下

*3:於是梁為會稽守,為裨將,徇下縣。 『史記』卷七項羽本紀第七

*4:項梁前使項羽別攻襄城,襄城堅守不下。已拔,皆阬之。還報項梁。項梁聞陳王定死,召諸別將會薛計事。此時沛公亦起沛,往焉。 同上