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歴史認識を乗り越える

歴史認識を乗り越える (講談社現代新書)

歴史認識を乗り越える (講談社現代新書)


日本、中国、韓国の三か国間で度々歴史認識がずれるのは何故か。それを”主体”や朱子学における”理”という観点から解き明かしたのが当書。特に日韓関係には大きく比重が置かれる。

日本では丸山真男の「無責任の体系」論に見られるように戦争の確固たる責任主体がない一方、韓国では正義は"ウリ"(我々)の側にあり、日本の侵略は悪であるという構図が確立しています。ここまでは私も知っていましたが、著者は日本が「民族蔑視は悪」という道徳を以て"ゆるす"ことで韓国人の過激な反日ナショナリズムを招いたと主張する。

ここに、「反省する日本人」を演じ、韓国人と同じ論理で「反省しない日本人」を蔑視する左派、それに反発して「誇らしく栄光に満ちた日本」を標榜する右派とも、日本は韓国よりも優位に立とうとしているという点は変わらないことがわかる。そして、この左右両派の姿勢は冷戦と米の世界戦略という前提があったからこそ成立したことも説明される。

朱子学の"理"の構造は、普遍的な"一理"(統体太極、絶対的理)が個別的な"万理"(各具太極、相対的理)によって支えられている、というものだが、これが東アジアにおける”主体”の厄介な問題を複雑化させている。

著者は主体について、一理と万理の両方を認識して、宇宙的・自然的・歴史的秩序の全体性を認識する"主体的主体"=第一の主体、一理を認識しないで万理のみに営々とする"客体的主体"=第二の主体(教育勅語を教え込まれた日本人や、反日運動を行う中国人や韓国人などが例)、そして隠された地平で秩序を作り出し、両方の主体の上に立つ"第0の主体"という三層構造があることを指摘する。

ここを読み、日本の戦争の責任主体は曖昧だったし、反日が中国、韓国国民の不満の捌け口として利用されるというのも頷けたでは、どのように歴史認識問題を克服するか。著者は"アイデンティティ"と"コンセプト"の融合体を作ることで、揺らぐことを厭わない他者への共感や痛みを包摂した主体を目指すことを提案する。アイデンティティの確立、というと自分の外側よりも内側に関心を向け、本質を限定することに眼目が置かれがちである。そのため、アイデンティティを掲げて排外運動が行われることもしばしば。それを乗り越えるためには、コンセプトを意識して、唯一絶対の仮想道徳的歴史観に陥らないように主体を打ち立てる必要がある。

私自身が歴史観の客体ではなく、主体として振舞うことは重要である。そうして真摯に歴史に向き合うために大いに役に立った一冊だった。