疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

悲しみを、アポカリプスが悪意に変えるなら、僕はその悪意を引き受ける

前回の記事からつながる話になりますが、社会が厄介なのは人の悪意によって傷付くことよりも、善意あるいは影響を意図しない言動によって傷付くことが多い点です。私は書店勤務の経験がありますが、現在流行っている「嫌中・嫌韓本」や「外国に感謝される日本人」といった趣旨の愛国本を買う人のうち、多くは見るからに邪悪な人間や社会不適合者ではなく、レジで店員に感謝の言葉を掛けるような一見善良な一般市民です。おそらく会社ではよき上司であり部下であり、家庭ではよき親として通用する人が、ネット上に「在日を叩き出せ」「シナチョンは劣等民族」などとネトウヨ的発言していることを考えると、余計に暗澹たる思いが脳裏をかすめます。ああ、人間の暗黒面に足を踏み入れてしまったなあ、と。愛国本の購入者層やネトウヨ=無職やフリーターのような社会的底辺の若者、というステレオタイプで判断しているとなかなか見えてこない問題です。むしろ実際は30~40代で、収入や社会的地位もそれなりにある層にネトウヨが多いという統計すらあります*1

話が逸れましたが、善良な一般市民がネトウヨ的言動に走ることについて思いを致す度、噛み締める言葉が「悪の凡庸さ」です。これは自身もユダヤ人の血を引く思想家ハンナ・アーレントが、イスラエルでナチ親衛隊員としてユダヤ人をガス室送りにした戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判に立ち合った際に抱いた、彼の印象でした。アイヒマンはアウシュビッツの悲劇を現出した人物なのだから、相当に悪魔的、サイコパス的な人物かと思いきや、命ぜられるままにガス室送りという「作業」に従事する、組織の論理に埋没した凡庸な官僚的人物だったと言います。

以上のことから、自分が何者かによって(主に精神的に)傷付けられた場合は、相手が悪意に満ちているのではなく、無意識のうちに傷付けてしまったと考えるようにしています。これは私が相手が全て善意で行動していると考えるからというよりは、大して何も考えていないと考えているからです。実際、周囲の人々が悪意に満ちている、と疑心暗鬼を生じさせると、周囲が敵だらけで精神を保てなくなります。「とある科学の超電磁砲」でもレベル5の御坂美琴は「レベルなんてどうでもいいじゃない」と、レベル0の友達である佐天涙子にショックを与え、結果的にレベルアッパー事件に巻き込む要因を作ってしまいました。

自分は元々猜疑心が強く、人も世界も信じられないことが多々ありました。社会に出て様々な人と話をする度、相手はいちいち悪意に囚われているわけではない、と被害者意識が誤解であることに気付かされ、今現在のように考えることができるようになったと思っています。この世は意外と恣意的(ランダム)なんだなあ、と思うに至った次第です。だからこそ、人の考えていることにわざわざかかずらわってどうにもならないことを煩悶することはナンセンスである、と。

自分の心はともかく、人の心は自分の思い通りにはなりません。私が好きな言葉に「小人の交わりは甘きこと醴の如く、君子の交わりは淡きこと水の如し」*2というものがあります。「小人物の人付き合いは醴(甘酒)のように濃厚で、教養人の人付き合いは水のようにさっぱりしている」というぐらいの意味になります。原典においては災害に直面して、大事にしていた宝石を捨てて赤ん坊を連れて逃げ出した人物の故事*3を引用する際に出た言葉です。宝石は人と金銭という利害関係で結び付いていますが、赤ん坊とは血縁という自然に由来する関係で結び付いています。私はこれを、金銭や狎れ合いのような利害だけで結び付いた縁は濃密に見えても用が済めば簡単に切れるのに対し、君子のような教養や人格の高さを備えた人間の関係は、思いやりの心のような(自らの心から生じた)人が自然に備えている感情に基づくもので、素っ気なく見えても長続きするものだと解釈しています。これは私にとっての理想的な人間関係です。こう考えることで、悪意とも、意に反して人を傷付ける無意識とも一線を画した場所に我が身を置きたい。

基本的に私は他者に干渉することも、他者に干渉されることもよしとしない個人主義者です。だからこそこの言葉が好きであるという事情もありますが、人の心を思い通りにコントロールすることはできないからこそ、狎れ合いに陥らず夏目漱石が『私の個人主義』という講演で述べた通りに、個人主義者として、他者の個性を尊重する生き方をしたいと思っています。

まとまりのない内容になってしまいましたが、今後は多少忙しくなるので、書きたいことを今のうちに書いておきたいという思いがあります。自分のペースで更新していきたいので、そのあたりはご寛恕願います。

*1:古谷経衡『若者は本当に右傾化しているのか』アスペクト

*2:荘子』山木篇

*3:現代人から見れば貴重品より子供を優先するのは当然だが『史記』において漢の劉邦が馬車で項羽の軍から逃げる際、早く逃げられるよう自分の幼子を捨てた故事があるように、古代中国では「子は死んでもまた生まれる」という考え方があった