疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

銀河英雄伝説

本作『銀河英雄伝説』は私が愛して已まない小説のひとつ。今から1600年余後の宇宙が舞台。最初に読んだのは2009年で、本編のアニメを見たのは2010年。というわけで、本作とは6年程度の付き合いになる。特権階級たる貴族の専横を排除して銀河帝国の皇帝となった若き名君ラインハルト・フォン・ローエングラムと、建国以来民主主義を謳いながらも政治家の汚職等で腐敗しつつある自由惑星同盟の軍人ヤン・ウェンリーの二人を主人公とした壮大なスペース・オペラ

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)

ヤン視点で振り返ってみて(同盟側)

敗戦から注目を受ける

ヤン・ウェンリーが注目されるに至ったのは、帝国とのアスターテ会戦において、負傷した指揮官・パエッタ中将に代わって第二艦隊の指揮を執り、この功績から彼は少将に昇進し、第13艦隊の司令官として、会戦後には帝国の一大拠点であるイゼルローン要塞を奪取して自由惑星同盟にとっての一縷の光明をもたらす。ライバルであるラインハルトに至ったのも、以上の経緯によるものである。

何はともあれ、逆境の中での活躍により注目が集まり、そのことがヤンの行く末を運命付けるという因果が得も言われぬものになっている。自信が望む通り、二流の歴史家として平穏無事に生涯を全うした方がよかったのか、民主主義を体現した英雄として横死を遂げる方がよかったのか、考えれば考えるほど難問である。

最悪の民主政治vs最高の専制政治

ラインハルトの副官たるヒルダはヤンが今まで同盟の危機に及んで政治権力を何度も手中に収める機会に恵まれていたのに、それをしなかったことから、彼に政治的野心はなく、停戦命令を無視してラインハルトを攻撃することはないことを見抜く。さすがその智謀は「一個艦隊に匹敵する」と言われるだけある。何だかんだでヤンは民主制の信奉者であり、シビリアン・コントロールのどこまでも忠実な下僕だから。

そしてラインハルトとヤン、両者は最初で最後となった会見に臨む。ここで「最悪の民主政治」vs「最高の専制政治」という構図が本巻で最も鮮明となる。ここでラインハルトは「民主共和制とは、人民が自由意志によって自分たちの制度と精神をおとしめる政体のことか」と鋭く指摘するのに対し、ヤンはそれでも民主政治の方が優れていることを説く。というのも、「人民を害する権利は人民自身にしかない」のであって、失政の責任を自分たちで負うしかない、と。

暗君による失政であればその君主に責任を転嫁してしまえる。が、民主制の下では自分たちで失政の責任を負い、反省し、それをフィードバックするという積み重ねによって、平和と繁栄を勝ち取るしかない。逆に言えば、名君が現れて素晴らしい治世を現出させても、それは人民自身で勝ち取ったものではなく、お上から「頂戴した」ものでしかない。いくら非効率的で非合理的であっても、ヤンが民主制が専制君主制よりも優れていると説くのは、彼が人民の自由意志と権利、そしてそれらと一体の責任を何よりも重んじているからだろう。つまり自由惑星同盟の建国理念。

ここで私はその昔、プラトンが哲人王による統治、つまり名君による専制政治を理想とした背景に、アテネデマゴーグの煽動によって衆愚政治に陥ったことを思い出した。彼が民主政治に愛想を尽かしたのは、師のソクラテスが民主制下による判決を受け入れて毒杯を呷ったことによる。尤も、本作の読者はルドルフ・フォン・ゴールデンバウム以来の銀河帝国の専制に対して、共和主義者のアーレ・ハイネセンが長征一万光年の末に自由惑星同盟の国父となったことを先に想起するだろうが。

魔術師、還らず

そして「魔術師、還らず」。ヤンの死による喪失が計り知れないことは、最早言うまでもない。同時に副参謀長のパトリチェフやローゼンリッター副司令官のブルームハルトを喪ったのも大きな痛手だった。彼らを死に追いやったのは地球教徒のテロリスト。その手口はド・ヴィリエ大主教の差し金でフォークを囮とし、ヤンの搭乗するレダⅡを襲撃させるというもの。ヤンの死は突然で理不尽な悲劇であると同時に、衆を以て寡を討ち続け、戦場で不敗の名を恣にした名将を仕留めるには、こうした卑劣でイレギュラーな手段をとるしかないと物語っているのではないか、という印象を受けた。

凄いのは、この大きすぎる喪失に直面したヤン艦隊=イゼルローン組。大きな悲しみと動揺に苛まれながらも、自分が死ぬことになっても後世のために民主主義の苗床を残したいというヤンの遺志を見事に継いでいる。こうして軍事面ではユリアンが、政治面はフレデリカがヤンの後継者となった。不満分子を連れてイゼルローンを去ったムライと、彼を抜擢したヤンはやはり慧眼の持ち主だ。現実にはこういう人物が組織に不可欠と言える。

民主主義に乾杯

時系列が前後するが、ヤン以外の同盟の指揮官クラスの人物の最期で印象深いものといったら、ビュコック提督の最期だろうか。民主主義の在り方を、ヤンとは異なる方向で体現したと言える。

ハイネセンへの途上、マル・アデッタ聖域でラインハルトたちを待ち構えていたのは、自由惑星同盟宇宙艦隊総司令官・アレクサンドル・ビュコック元帥と参謀長・チュン・ウー・チェン大将。戦略的、兵力的には不利ながらも、ラインハルト及び麾下の名将たちを相手に一歩も退かぬ奮戦を見せる。双璧二人も自分たちに対抗できるのはヤンとメルカッツを除けばあとはビュコックくらいだと言われるだけある。

そうして粘るに粘ったビュコックたちだが、兵力も尽きかけ、ラインハルトから投降の勧告を受ける。ビュコックは好意に感謝するも、あなたのような孫を持ちたかったが、民主主義とは対等の友人を作る思想であって、主従を作る思想ではない、としてこれを拒否。「民主主義に乾杯」して殉死といっていい戦死を遂げる。数ある銀英伝の名シーンの中でも、特に私の心を掴んで離さない屈指のシーンである。「対等の友人」とはおそらくヤンも含むものであったのかな、とも思いを馳せてみる。

ラインハルト視点で振り返ってみて(帝国側)

ローエングラム陣営の指揮官クラスの人材は概ね優等生といった具合で、大変魅力的ではあるものの若干の物足りない感じもした。が、キルヒアイスロイエンタールに関することは語っておきたい。

友情と謀略と

ブラウンシュヴァイク公によるヴェスターラントの虐殺を傍観し、悪事を宣伝するべし、というオーベルシュタインの進言を容れ、これを実行したことにより、ラインハルトは親友にして半身ともいえるジークフリード・キルヒアイスとすれ違う。この虐殺で200万人が核の炎に焼かれたが、この蛮行を阻止していたら、戦争が長引いて少なくとも、さらに1000万人以上死者が増えていたかもしれないという。溝が埋まらぬうちにキルヒアイスブラウンシュヴァイク公の腹心・アンスバッハ准将の襲撃からラインハルトの身代わりとなって死ぬ。この悲劇は悔やんでも悔やみきれない。

キルヒアイスが生きていればケンプやルッツあたりは死なずに済んだろうし、ラグナロック作戦やロイエンタールの叛乱もなかったと思う。ラインハルトはヤンと会見した時に、キルヒアイスが生きていたら死んだ卿に対面していただろう、と言っていたが、むしろヤン、ひいては同盟の命脈が伸びたのではないかと。彼の役割はストッパーだから、ラインハルトのために死んだ人は減るはず。多分キルヒアイスが生き残ることで一番割を食いそうなのは、彼の役割を一番良く引き継いだヒルダ。

遅いじゃないか、ミッターマイヤー

自由惑星同盟の滅亡により、旧同盟領は「新領土(ノイエ・ラント)」とされ、ロイエンタールが同地の総督として政治・軍事を統括することとなった。彼は提督としては無論、行政官としても非凡な手腕を披露するが、旧同盟のシトレ元帥を担ぎ上げた暴動がハイネセンで広がるなど、暗雲が立ち込み始める。

そしてルビンスキーと接触していた内国安全保障局長・内務次官ラングの陰謀により、ロイエンタールは叛逆者に仕立て上げられるぐらいなら、叛逆者になってやる、として遂に叛乱を起こす。ラングはかつて会議中に「陛下の虎の意を狩る狐」として罵倒されたことに私怨を持ち、かつてロイエンタールが処断したリヒテンラーデ侯と血縁のある女を匿っている、などと吹聴していた。

その報を聞いたラインハルトはロイエンタールと面会する途上にある旧同盟領の惑星・ウルヴァシーで兵に襲撃される。ラインハルトは危機を脱したものの、囮となったルッツは亡くなり、ロイエンタールの叛逆心が確かであることを悟る。

ロイエンタールは親友のミッターマイヤー、ワーレン、ビッテンフェルトといった名将を相手取り、互角以上の戦いを演じる。が、配下のグリルパルツァーの「二重の裏切り」により重傷を負い、ハイネセンに戻る。その後ラインハルトを中傷したトリューニヒトを射殺し、エルフリーデにミッターマイヤーに息子を託すように伝えるが、この頃には彼の命脈も尽きようとしていた。従卒のハインリッヒ少年にワインを用意させ、ミッターマイヤーを待つも、彼は間に合わず、息を引き取る。

結局、ロイエンタールはミッターマイヤーと違って、世間一般の平凡な幸福と相容れなかった。それには彼の壮絶な生涯が背景にあったように思う。父親からは「生まれてくるべきではなかった」と言われ、母親には左右の眼の色の違いから、不義の子だと疑われて殺されかける。ミッターマイヤーという知己と、ラインハルトという偉大な君主を得るも、その後も自分の生まれてきた意味を探すかのように、どこか斜に構えた人生を送り続け、その誇り高さから遂には叛逆を起こす。そこに何とも言えない哀切を感じる。ベルゲングリューンをはじめ、部下も巻き込んだのは拙かったけど。

夢、見果てたり

ラインハルトの人生は宇宙の歴史の長さを鑑みれば刹那の閃光に過ぎなかったが、あまりにも濃密だった。奪い取ったものも多かったが、喪うものも多かった、という点で。果たして立憲君主制への移行は現実のものとなったのだろうか。「後世の歴史家」とやらが掣肘を受けることなく自由に持論を展開し、その歴史物語『銀河英雄伝説』が一冊の小説として形になっている以上、後世にヤンの精神も、ラインハルトの精神も活かされているはずだ。

最後まで読んでみて、やはり壮大で考えさせられる、単なる物語に留まらない名作だったなあ、と。正義というものは絶対的なものになりえず、相対的なものでしかない。永遠なるものは存在しない。民衆は時にとんでもない愚行をやらかすが、時に遙か後世まで語り継がれる偉業を遺す。将来人類が地球を離れ、宇宙に飛び出しても、その本質は大きく変わることはないのだということを、本作は示している。

そのディティール

「神は細部に宿る」とも言うが、本作はディティールの描写も手を抜かないのでたまらなく引き込まれる。クラウゼヴィッツが「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」と語る通り、本作の戦争は政治との結びつきが強いためか、本作のディティールは戦争の下地となっている政治や社会の在り方に拠っている。その中でも、いくつか気に入った個所を挙げていこう。

政治腐敗と戦争の悪弊(1巻)

支持率稼ぎのために出兵を決めるサンフォード政権、安全な場所から愛国心を煽る国防委員長・トリューニヒト、自己顕示欲と出世欲のために愚かな作戦を立案するフォーク准将といった人物の存在がそれに当たる。また、継続的な戦争による人的・物的資源の浪費も深刻だ。働き盛りである2~30代の若者の労働力の不足やそれに伴う労働災害の多発、軍費や遺族年金を賄うための国債増発による財政の悪化、といった形で、そうした問題が表面化していく。同盟の政治体制が民主共和制である以上、このような失政の責任は市民に帰するものだが、政治の腐敗は止まらない。

こうした経済面の描写は本作では貴重で、1巻以降は鳴りを潜めてしまうのが少し残念ではある。それ以外の政治や社会の描写は充実してはいるが…。

「民衆の自主性によらない前進は、前進の名に値するだろうか」(3巻)

後にローエングラム政権で民政尚書となるカール・ブラッケによるもの。本作の文官はほぼ脇役だが、ラインハルトのやり方を「人気取り」と公然と批判したり、上からの押し付けの改革が本当に民衆のためになるのかと疑問に思ったりと、なかなか過激な人物で印象深い。孫権にとっての張昭、李世民にとっての魏徴など、主君を真っ向から諌める諌臣は古来からいたが、ラインハルトもよく受け容れられたな、と彼の器の大きさを思い知る。リヒターとも併せて、こうした以前はほとんど注目していなかった人物を見直す機会があったのは幸いだった。

それにしてもこのブラッケの思想、まんま民主主義の真髄を言い当てているな、と思ってしまう。民主主義の本家である自由惑星同盟では表向きでは尊敬を受けても、どこかで疎んじられそう。

アイランズの勤労意欲(5巻)

ここで私が注目したのは自由惑星同盟・国防委員長ウォルター・アイランズという人物。トリューニヒト派の三流政治家という位置付けだが、同盟の命運が崖っぷちに至るに及んで「勤労意欲」に目覚め、何とか立て直しを模索する。現実の政治家もアイランズのように、能力は及ばず汚点はあるものの、彼らなりに国を背負って立とうとは思っている人が多いのではないか。一応は善意で動いているから、事態は複雑化しやすい、と。既に帝国への降伏を決めていた親分のトリューニヒトに過去の汚職という弱みを握られ、行動を掣肘されてしまうが…。

民主主義の意地(5巻)

帝国軍の一方的な処置に、最後まで公正に法律を適用しようとした同盟の役人たちの姿。皇帝への忠誠の誓約書のサインの強要に対しては「銀河皇帝なるものはいない。存在しない者から命令を受ける理由はない」として、市民の国有財産の情報開示に対しては「その権利は選挙権・被選挙権を有し、納税義務を果たしている市民固有の権利」だとしてそれぞれ拒絶。ラインハルトの議場見学の記録対しては「宇宙皇帝を自称する者、法律上の資格なくして」という文言を削除せよという帝国兵の命令を突っ撥ねた書記官も。彼らは一旦投獄されたものの、ラインハルトが釈放させたという。腐っても民主主義。彼らのような人間が中堅の地位に甘んじていることが問題だ、と自国民よりも敵国の君主により正当に評価されたというのも、何とも言えない。

P.S. 今年紆余曲折を経て入社した現在の会社の社長との面接の際に、好きな本は何か、という質問を受け、私は本作について語った。名君による専制政治と腐敗した民主主義を対比させる点が気になったらしく、その内容をより掘り下げて語ったところ、話が盛り上がった。もしかしたこれが採用につながったのかもしれない?