疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

服従

服従

服従

自虐的な「服従」の真意は


今回のレビューはこの2016年度本屋大賞の翻訳小説部門の第3位となったミシェル・ウエルベックの『服従』。解説含め320頁というボリュームに対しては、2400円(税抜)と割高。舞台は2022年のフランス。武装集団による投票所への襲撃が相次ぐ厳戒態勢の中、大統領を巡ってムスリム政党と極右政党が選挙で競合するという設定。

全体的な感想としては、お堅そうな第一印象に反して、意外と軽やかでカジュアルな仕上がりだった。自意識過剰かつ饒舌な文体や、随所に差し挟まれているねっとりした性描写は、村上春樹のそれらを彷彿とさせる。

主たるテーマは、西洋近代主義を修めたインテリゲンチャと、ムスリムや極右といった、西洋近代主義に馴染まない価値観を奉じる人々との対峙。この現実を目の当たりにし、危機感を抱くも、なす術なく潰走していく無力な西洋近代主義。主人公の「ぼく」こと文学部教授は、研究と講義の傍ら、女色に美食にと享楽的な生活を送りつつ、最終的には唯一神アッラーの前に信仰を告白し、イスラーム教に「服従」してしまう。マクロの展開を見ても、ミクロの文体を見ても、西洋近代主義が標榜してきた理性ある市民による主権在民や人間中心主義の脆弱さ、儚さをどこか自嘲しているようでもあった。その一貫した自虐ぶりは、露悪趣味といっても差し支えないほどである。

本作のタイトルにもなっている「服従」について、「ぼく」の知己でありムスリムであるルディジェはレア―ジュの『O嬢の物語』を引用して、女性が男性に服従するように、人間が神に服従することが絶対的な幸福であることを説く。これが「ぼく」が宗旨替えするきっかけになっているが、本作で最も強調されているのが、この部分である。

私としては、人間にとっての服従、というテーマで思い浮かぶのはドストエフスキーである。『未成年』では「女どもの生活」が「誰に服従したらよいのかということの永遠の探求」であることを述べられているし、『カラマーゾフの兄弟』の作中長編詩の「大審問官」では人間は神への服従を渇望するものであることを雄弁に謳い上げている。この「長い物には巻かれよ」的な人間の側面に対して、ドストエフスキーとは異なる視点や方法でアプローチを試みたのが、本作ウエルベックの『服従』なのだと思う。

本作では西洋近代主義の弊害として人間中心主義と無神論が挙げられているが、その顕著な例として、これまたドストエフスキーの『悪霊』に登場する無神論者であるキリーロフが登場しており、改めてドストエフスキーの透徹した洞察力にまたもや驚かされたのである(ドストファン並みの感想)。「イスラーム」とは「神への絶対帰依」の意であり、イスラーム教が人間中心主義に反するのは、あらゆる権威は神に由来する、という考えによるものだが、『悪霊』を読んでキリーロフに感銘を受けた者としては、忸怩たる思いに浸るばかりだ。別に私は無神論者ではないが、神の不在と克服という自分の思想のために、人間の自由意志の極みである「自殺」を遂げた彼の姿には、息を呑むほかなかった。

振り返ってみれば、個人的には素直に好きとは言いがたい作品ではあるものの、どこか道化じみた視点から、レームダックと化した西洋のインテリの問題点や、勢い付く極右やイスラーム教がヨーロッパに押し寄せてきているという現実と向き合うヒントを提供している、という点で意義深い、完成度の高い文豪の一著であるというのが私の評価である。