20181122,23_京阪奈の旅_京都篇
上方への旅もついに大詰め。土日を避けるのと同時に、京都を最後に取っておきたかった。
2日の間、レンタサイクルで自転車を借り、京都市内を駆け回ったせいか、とても疲れた。ここまで自転車を運転したのは、8年前に鎌倉の鶴岡八幡宮と大仏のある高徳院に行って往復して以来かもしれない。
清水寺
まずは東山の清水寺。平安京遷都以前からの歴史を持つ、数少ない寺院の一つ。京都市内にしては珍しく、アップダウンの激しい地形と、ごった返す人だかりに悪戦苦闘しながらも写真を収める。紅葉、快晴と好条件が揃った中での清水の舞台やそこからの市内の眺めは格別。
この日も平日にもかかわらず、とにかく人が多かった。伏見稲荷大社と双肩を並べる京都屈指の観光スポットと言われるだけのことはあった。話している言葉からして、中国系の人が特に多かった印象。
慈照寺銀閣
結構質素な「銀閣」で有名な東山を代表する臨済宗の寺院。銀閣は足利義政の手による東山文化の精髄。昔は金閣との対比で、なぜ銀箔を貼らなかったのか疑問に思ったが、歳を経てこの質素な佇まいに味があることに気づく。こじんまりとした感じも趣があって素敵に思った。
近くの食事処で昼食。とろろざるそばに海老の湯葉巻き天ぷら。運動した直後だったので、秋深い時期ながら冷たいものを選び、そして湯葉という京都らしい食事を選んだ。なかなか美味だった。
二条城
徳川家康が征夷大将軍就任の年に築城した二条城は、家康の将軍宣下の式の待機場所となり、ラストショーグン慶喜の大政奉還の舞台となった場所。つまり江戸時代の誕生の場所であり、終焉の場所がここ二条城。実際に大政奉還が行われた。二の丸御殿の一の間もしっかり見てきた。御殿も掛川城や川越城のものと比べてその荘重さが一際目立つ。鴬張りの床もしっかりその音と感触を確かめてきた。
北野天満宮
宇多天皇の信任を受けて右大臣まで昇るも、左大臣の藤原時平の讒言で大宰府に左遷された菅原道真を祀る天満宮の総本社。非業の死を遂げた道真は死後祟り神になり、その霊を鎮めるのが天満宮の始まりという。祇園祭で有名な八坂神社と同様、七五三シーズンのため人多し。こちらはきっちり参拝してきた。お守りは道真にちなんだ梅があしらわれていてかわいらしかった。
鹿苑寺金閣
金閣寺こと鹿苑寺金閣。金箔が貼られているのは舎利殿。昔は金ピカスゲー、少し前は悪趣味、今はこれはこれで趣がある、と自分の中でも評価がなかなか定まらない不思議な金閣寺。今は極楽浄土を表現するにはこれぐらい煌びやかでもいいのではないかと思っている。滅びの美に魅せられたからって、放火しちゃダメ、ゼッタイ。三島由紀夫はああいう最期を遂げた以上、金閣寺放火事件の犯人にどこか共感していたと思う。
龍安寺
応仁の乱で足利義視を支持した細川勝元を開基とする寺院。石のみで山や水を表現した枯山水の石庭で有名。無彩色に近い石庭の中に、苔の緑が映えて美しい。バックの紅葉もより一層鮮やかに見える。三枚目は目が不自由な人のための、触れる石庭というコンセプトのミニチュアだそうな。
夜の散歩
龍安寺を後にした頃には陽も傾き始めた上に、自転車で走り回って疲れたため、まずはこの旅最後の宿となるSFチックなカプセルホテルに向かう。この間通った四条通には高級店が立ち並び、東京でいう銀座のような雰囲気があった。
カプセルホテルに到着後は荷物を置き、周辺の散歩へと向かう。この日は「たまこまーけっと」の聖地である出町桝形商店街へと徒歩で向かう。その間には京都御苑の脇の寺町通をまっすぐ、片道30~40分はかかり、なかなか時間がかかった。たまこまーけっとに関する話題は「たまこまーけっと関連」の項目でまとめて扱うことにする。
帰りに寺町通の天丼の店で遅めの夕食。店員さんがカウンターの前で天ぷらを揚げるなどの調理を行うスタイルの店で食べる天丼は格別だった。今まで食べた天丼の中では押しも押されもせぬダントツの味。
本能寺
最終日の朝を迎えて最初に訪れたのは京都市役所の道路(御池通)を挟んで向かい側にある本能寺。本能寺の変であまりにも有名な寺院がここにあったとは*1。繁華街の片隅で、道路の向かい側に市役所があるという立地ながら静かな印象。織田信長廟や信長の遺品に関する展示も行っていたのが印象深い。
隣接するホテル本能寺は修学旅行生御用達らしい。また京都に行ったら泊まってみたい。
加茂御親神社(下鴨神社)
鴨川と高野川の中州の近くに位置する下鴨神社こと賀茂御祖神社。山城国一宮にして、境内を囲む糺ノ森や流鏑馬で有名。流鏑馬にあやかってか、馬車が走っていたのには驚いた。やはり七五三の時季であり、祝日でもあったためか、参拝客が多かった。
京都御苑
かつて日本の首都が平安京であった頃の皇居(御所)を含む公園。縦1300m、横700mとかなり広大である。御苑は環境省が、御所は宮内庁がそれぞれ管理している。砂利を敷き詰めた道も幅が広く、かつての平安京の俤をどこかに残した京都市民の憩いの場という印象。
写真は蛤御門。長州藩と幕府側(会津藩や薩摩藩)が衝突した禁門の変(蛤御門の変)の舞台となった場所。断じて蛤御飯ではない。
たまこまーけっと関連
時系列が前後するが、22日夜に散歩してたどり着いたのが「たまこまーけっと」の聖地・出町桝形商店街。鯖のオブジェのあるアーケード街は実在した!ということで興奮気味。
飛び出し注意の表示がたまこ&デラとチョイ。たまこの寝癖まで表現されているのが芸が細かい。
翌日商店街を訪れたらチョークアートが!それもなかなか上手い!やっぱりオタクの聖地は違う。
たまこともち蔵にちなんで商店街内の和菓子屋で豆餅を2つ購入。帰りの新幹線の車中で戴いたがなかなか美味だった。
下鴨神社のほど近く、鴨川と高野川の合流点にあたる鴨川デルタ。こちらもたまこまーけっとの聖地。地元在住と思しき子供たちが石の上を歩いて対岸まで渡ったりしていた。それにしてもこのあたり、カラスやトンビが多かった。うかうか食べ歩きはできない。
方広寺
京都国立博物館や豊国神社に隣接する方広寺。豊臣秀吉はこの寺に大仏殿を建て、刀狩で押収した武器を溶かすことで大仏を勧請したという。「国家安康 君臣豊楽」の八文字の鐘銘が「家康の名を二分し、豊臣氏の繁栄を願う」という理由クレームにより大坂の陣の引き金になったとされるが、その鐘銘はきちんと健在していた。
京都国立博物館
京都に博物館は数多いが、京都を代表する博物館がここ。明治時代に建てられた写真の旧館は休館中…。平成に入って建てられた新館では主に坂本龍馬にかんする展示を行なっており、姉・乙女や木戸孝允といった人々に宛てた手紙の他、龍馬や幕末にまつわる展示が充実していた。その他一般の展示も行われており、石器や土器や銅鏡、仏像などが展示されていた。古代史の文物は佐倉の歴史民俗博物館で見そびれたため、見ごたえがあった。三角縁神獣鏡を立体で見ることができたのが収穫。本当に三角形をしており、感動した。
三十三間堂
蓮華王院三十三間堂の本堂には千体の千手観音立像があって壮観だった。一体一体表情が違うらしい。中尊こと中央の一体の千手観音坐像が引き立つ。やはり数を極めると違う。戦を左右するのは数だと聞くが、仏像も数を揃えると違うんだな。本尊の千手観音像や風神と雷神の像も圧巻。
平等寺因幡堂
京阪奈の旅最後の寺院は因幡薬師こと平等寺。癌封じの寺として有名。京都駅から烏丸通を道なりに進めばあるという好立地。小鳥のお守りもあるということで、我が家のセキセイインコとオカメインコの健康長寿ために一つずつお守りを買ってきた。別に鳥のお守りがあるからといってこの寺をトリにしたわけじゃないよ!