疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

ゴースト・イン・ザ・シェル

原作「攻殻機動隊」は見たことがないし、ほとんど知識はなかったけど、映画は気になったので見てみることにした。

ghostshell.jp

ハリウッド版「攻殻機動隊

この「ゴースト・イン・ザ・シェル」は原作を知らない人でも楽しめるSFアクション映画だった。原作だと「人と機械(サイボーグ)との境界線とは何か」難解で哲学的な要素を含んでいたが、本作はそれを大胆にカットしたという印象。ハリウッドが創っているのは一部の人には大受けされる芸術作品というよりも、多くの人に受け入れられる工業製品だというが、原作「攻殻機動隊」が芸術作品なら、本作「ゴースト・イン・ザ・シェル」は工業製品といったところだろう。

哲学的要素はだいぶ鳴りを潜めたものの、香港を舞台としたサイバーパンクという要素は健在。健在というよりも、映画化を経ることでより近未来的なサイバーパンク要素により磨きがかかったと言った方が正確か。CGを活用しての肌触りが伝わってきそうなサイボーグの質感の表現や、ネオンやVRがひしめく都市の風景の描写は、最新のサイバーパンクといった趣だった。

印象に残ったのは「人は記憶ではなく何をするかで決まる」というほぼ全身が義体のミラ・キリアン少佐の言葉。仄かに残った本作の哲学的要素を含んだものだが、事故により生まれ持って獲得したの肉体を失った彼女だからこそ説得力をもって響いてくる言葉である。彼女は原作でいう草薙素子少佐だが、素子は直感を働かせる際の「ゴーストの囁き」という表現と通じるものがあると思った。ハードウェアが人工物になったとしても、人の振る舞いやゴースト―生来の意識や魂魄と呼べるもの―というソフトウェアに関わる部分は人間という存在の根本として不動の地位にあることを噛み締めることとなった。

あと強烈なインパクトを誇ったのが少佐の上司にあたる荒巻課長。演じるのはビートたけしだが、もうこの役柄だけで名前とキャラが先行しすぎて対象の役を大きく食ってしまっている感。吹き替え前の英語版ですら台詞を日本語で喋って英語の字幕が出るというのも強く記憶に残っている。台詞回しもジュラルミンケースを盾にして銃弾を防いで「狐を狩るのに兎を寄越すな」とか格好よすぎる。一方で考えさせられる台詞もあった。それが「人は個性を美徳と認められて初めて安らぎを得る」というもの。SFだと人に個性とか個人主義を認めないディストピア文学などはよくあるが、この手の作品においてこの方向から台詞を投げ掛けてくるあたり、心強さを感じた。義体を纏ったサイボーグも個性、のはず。

というわけで、原作「攻殻機動隊」もちゃんとアニメを見ておきたいところ…。