疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

きみの声をとどけたい

実際は見てからしばらく間が空いたけど、こういう見ていて清々しさを感じる映画の感想はなるだけ積極的に述べていきたい。最初は新宿の劇場で見ようと思ったけど、当日の上映時間を逃して錦糸町まで足を運ぶことになったけど、その甲斐は十二分にあった。

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コトダマの力

本作「きみの声をとどけたい」はささやかな奇跡の物語である。ストーリーそのものはごくありがちだったけど、その分ラジオを通じてなぎさたちJKの面々の一夏の思い出やら、それを通じた人間関係が叙情的に描かれており、琴線に触れるものがあった。書き出しでも述べたことだが、見ていてとても清々しい。そしてどこかこそばゆくなってくる。いや、それがいいんだけど。

ストーリーのメインはなぎさと紫音の交流。ある夏の日なぎさはかつて賑わっていた喫茶店アクアマリンに雨宿りすることになり、店に備わっていたミニFM設備を使ってDJの真似事をする。ミニFMは数百メートル程度の範囲でのみ聞くことのできる小規模なFMラジオのこと。実は設備はまだ生きており、町内に放送が聞こえていたことから、なぎさの友人のかえで、雫、夕の他、かつて母親がアクアマリンでDJをやっていた紫音、ラジオに詳しいあやめに作曲できる乙葉も加わってミニFMのオンエアを続ける。

本作は良い言葉は良いことを、悪い言葉は悪いことをもたらすという「コトダマ」が主題となっている。なぎさが「雨が降ればいいのに」と言うと雲行きが悪くなって雨が降り始めるあたり、どこかギャグっぽかった。これがきっかけでなぎさがアクアマリンに雨宿りしたことがストーリーの始まりになったことに奇なるものを感じた。かえでたちも交えて、ミニFM放送を通じてなぎさと関係が徐々に進展していくあたりはまさに百合だった。なぎさが幼なじみでありラクロス部のチームメイトであるかえでのことが気になっている描写や、かえでと夕の顔を合わせるたびにいがみ合う喧嘩友達ぶりが側から見てて危うくて胸に突き刺さるものがあった。

だが、こうした日々も長くは続かなかった。町内再開発の煽りを受けて結局アクアマリンの建物は取り壊されることが決定し、母親の思い出の場所が消えることになった紫音も日ノ坂町を離れることになる。取り壊しの決定は前々から紫音は知っていたが、なぎさたちには黙ったままだった。このことを知ったなぎさと、事故後10年以上意識を失ったままの母親に自分たちの声が届くわけがないと弱気になる紫音の間に亀裂が生まれる。地元の有力者でアクアマリンの取り壊しを決めた夕の祖父のことを巡り、かえでと夕の仲も再び険悪になる。彼女たちの仲が空中分解しかかる中、紫音が眠ったまま母親を連れて街を出発する日、紫音が車中のラジオから聞いたのは…。

振り返ってみて、ささやかながらも奇跡の起こる、爽やかながらも優しい物語だった。わざとらしすぎないのが好印象。「きみ」「とどけたい」とタイトルが平仮名表記されているあたり、目で見てもソフトな感じもする。そろそろなぎさの年代のティーンエイジャーからはおっさんと呼ばれることを覚悟しなければならない年代の身としては、青春を駆け抜ける彼女らを眺めていてどこか内心忸怩たるものがある。最近だと「マリア様がみてる」や「響け!ユーフォニアム」で同じような感想を覚えた。最後の最後でなぎさはラジオのパーソナリティとしてリスナーに声を届ける姿を見せてくれたが、一夏の経験が生きていたようで我が事のように嬉しかった。