行雲流水

ごきげんよう

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

フーコー『狂気の歴史』、ニーチェツァラトゥストラ』、ルソー『エミール』などを引用し、「普通」、「健全」といった言葉につく手垢(通俗的な意味・用法)を落としていくというのが本書の基本的スタンス。ある意味で老荘思想と近いものを感じる。読むとありのままの自分を肯定したくなる名著。

気になった点
・人間の理性は「北風と太陽」の北風のようなもの。理性は非合理的なものを有無を言わさず分類・排除し例外を認めない。世間一般と違った考えを持った人、や何らかの理由で職についていない人に対し「『普通の人』と同じようにしろ」とやり込めるのは正論ではあるかもしれないが、その人を追い詰めてしまう暴力になる。やり込めた側は「正論を言って何が悪い」と言えてしまうのがこういった問題の厄介な点でもある。

・乞食にバナナを与えるも、乞食が「こんなまずいものを食えるか」と言ったら怒る人が多い。ここで怒った人は、「親切にしてやってるんだ」と考える偽善者の疑いがある。もし自分が満足しているのなら、乞食が何と言おうが腹は立たないはず。だから人を愛するには、まず自分が欲望を満たすことが必要であるということ。ここはまさに『老子』の「知足(足るを知る)」と同じものと言っていいだろう。

・「メメント・モリ」という言葉があるが、人間が死を意識すると人間はよりよく生きようと努める。映画や小説でメインの登場人物が死ぬ描写や、戦争が何度も繰り返されることがお決まりになっているのはメメント・モリと関係がある。「タイタニック」などの映画や戦争が始まると「あの国に侵略されないよう先手を打つ!」とか「平和のために戦うんだ!」と意気込むのがその例。

・「わがまま」という言葉は、もともと「自分が自分らしくある状態」を指す言葉。

・精神的な理由で昼夜逆転の生活を送っている人に「早寝早起きの生活をしろ」と言っても状況が改善するわけではなく、むしろ逆効果。中原中也の言うとおり、健全という言葉は寂しいのかもしれない。

・大通りを行く人(社会のマジョリティ)にとっては「他人の不幸は蜜の味」

親鸞悪人正機説は、本当は「自分は罪深い人間だ」と些細なことで自分の行いを悔い改められる人間を救うものではないか、という本書の主張