疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ

今回は珍しく漫画のレビュー。

本作は15世紀半ば、ヨーロッパ中世後期のボヘミア(チェコ)のフス派とカトリック派の間の宗教戦争であるフス戦争をテーマとした歴史を題材とした漫画。同じ頃、日本では室町幕府関東公方の対立が激化し、西欧では百年戦争が続いており、ジャンヌ・ダルクの登場を控えていた。作者が北海道大学および同大学院で歴史学を専攻していたこともあって、時代考証が緻密かつ重厚な作風で読ませる内容。巻末の時代背景の解説も充実していて、情報量は活字本に勝るとも劣らない。

大枠のストーリーとしては、ローマ教皇並びにボヘミア王、ヨーロッパ各地の騎士団による十字軍の侵攻と略奪により家も家族も尊厳も失った主人公の少女シャールカがフス派の傭兵隊長ヤン・ジシュカに従って転戦するというもの。題材が題材なだけあって、とにかくエログロが多くて血生臭い。1巻でシャールカの命の恩人であるカレルの死を皮切りに、友や仲間が戦争で呆気なく命を落とす無常感の漂う場面が何度も現れる。

フス派の視点でストーリーが展開していく本作だが、だからと言ってフス派も善玉で無辜の被害者というわけではない。彼らの品行の良さはイゼルローン共和政府の面々には及ばず、『水滸伝』の梁山泊の英雄好漢とさほど変わらない。「貧すれば鈍する」とばかりに彼らによる略奪や暴行、またそれらの引鉄となっている物資や精神の余裕のなさがこれでもかと描かれている。早い話、異端派絶対殺すマンvsカトリック絶対殺すマンの戦いであるため、泥沼化は必定。

本作を歴史漫画たらしめているのは何と言ってもヨーロッパ史上屈指の名将と称されるジシュカの存在である。ジシュカ率いるタボール軍は荷車をバリケード状に並べ、隙間から初期の銃による砲撃で十字軍の騎馬部隊を攻撃するワゴンブルク戦術により、数の上で圧倒的に不利な状況で連勝を重ねる。長篠の戦いに先立つこと150年あまり。それと併せて近代の軍隊を先取りした軍規のもとに部隊をまとめ上げ、子供*1に銃を装備させて戦力として組み込んで敵を蹴散らすジシュカの先見の明には舌を巻く。タボール軍の構成員のほとんどは文字の読み書きはできないが、篤い信仰心はある農民であり、高杉晋作奇兵隊も斯くやという内容。

カトリック勢力を相手に大立ち回りを演じるジシュカもフス戦争の最中に落命する。こういった史上の大物の道半ばの退場は、個人的にはやはり『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの死を連想する。ジシュカ亡き後も彼を慕う「孤児(シロッツィ)」たちがフス戦争を戦い抜いたことで、フス派の主張や教義が一部認められるに至った。という部分まで説明してみると、これまたヤン・ウェンリー亡き後のイゼルローン共和政府のようである。ヤン・ウェンリーのモデルの1つがヤン・ジシュカである説は単なる名前繋がりではなく案外説得力があるかも。

生きるための戦い

歴史漫画としての『乙女戦争』を彩るのはジシュカだが、本作の主人公はあくまでもシャールカである。友や仲間を喪いながら幾度も戦場に立ち、その度に敵兵を仕留めながらも戦場という舞台に慣れないまま強くなっていったことをジシュカに指摘された場面が印象に残っている。内紛が起こったり、戦術的優位が敵の数によって覆されたり、隻眼のジシュカが完全に失明したりと、フス派にとっては思わしくない状況も続く。その中でも本作が絶望一色に染まらないのは、シャールカら登場人物(特に女性陣)の絶望的な状況でも足掻き続ける姿勢によるものだと思った。彼女らが置かれた環境が過酷で、手段を選ぶ余裕のないことが生きようとする執念の強さを際立たせている。

個人的に印象深かったのは、彼女が黒騎士シュヴァルツ卿の捕虜となって異端派として処刑されかかった際、愛するヨハンの子を身籠ることで死を免れる展開。言語に絶する過酷な環境下で生き残るためとはいえ、妊娠することで命をつなごうという覚悟は如何ばかりのものだっただろうか。生きようとする意志は何よりも強い。これは元をたどると作中でフス派の祖であるヤン・フスも語っていて、ジシュカにも影響を与えた「人は変われる」に行き着くと思う。惨憺たる状況においても自分は変われると思うから、前に進むことができる。

ジシュカの遺した「孤児」たちはフス戦争最後の戦役リパニの戦いで神聖ローマ帝国軍や十字軍の前に敗北を喫し、散り散りになる。不十分とはいえ、フス派の信仰がある程度まで認められたのは、「人は変われる」という思いを胸に生きるために戦い抜いたからだろう。「人は変われる」という考え方が宗教界を動かすのは、フスの一世紀後の人であるマルティン・ルターの手に委ねられた。

それにしても、シャールカたちは本当によく戦った。久々に漫画で歴史の醍醐味を堪能することができたと思う。

*1:「子供」は18世紀後半に「発見」された近代思想の産物だが