行雲流水

ごきげんよう

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

間違って生きる青春

本作『やはり俺の青春ラブコメはまちがってる。』(以下「俺ガイル」)が描いた轍は、ちょうど本シリーズの刊行が続いた2011年から2019年までのわたしの人生の軌跡と重なると言って過言ではない。

主人公の比企谷八幡は「ひねくれぼっち」を自称する中二病を通り越して高二病の高校生の青春。強く正しいが辛辣なの雪ノ下雪乃、社交的だが他人の顔色を窺ってばかりの由比ヶ浜結衣、というメンバーを中心にSKET団とかSOS団みたいな「奉仕部」を結成。パロディネタや自虐ネタとかの話にやたら共感してしまうのは、彼の言うとおりわたしと親和性が高いからだと思ってしまった。リア充のクラスメイトとテニスで対決するシーンもあって、熱い展開だがただの熱い青春モノに終わっていない部分がgood。

本作は奉仕部の活動を通じた八幡、ゆきのん、ガハマさんの3人の学校生活を描いた作品である。性格や背景の異なる不器用な3人が時に協力し、時に対立しながら進めるストーリーは共感できる部分もありつつ、読み応えのあるものだった。

後で詳しく述べる八幡の言行をはじめとした行為時に厳しい言葉で彼らを咎めたり的確に助言するといったことをする顧問の平塚先生の役割の大きさはなかなか侮れない。時々サシで飲み(?)に連れて行ってくれるあたり、とても大人っぽい。教師キャラの理想的な物語への介入のさせ方だったと思う。間違って生きる3人のよき道標としての役目を十二分に発揮してくれた。八幡が弱みを見せたり、自分に疑問を抱いたりすることが増えたのは、間違いなくゆきのんやら平塚先生やら、周囲の人間の影響だとは思う。

八幡が自己犠牲に走って人間関係をリセットして回る理由としては、上辺だけではない強固な人間関係がほしいからだとか、自分のようなひねくれ者を生み出したくないからだとか、いろいろな説が飛び交っているけど、個人的には前者を支持している。

林間学校や文化祭といった定番のイベントを経験後、ストーリーが進行するにつれて八幡も多少は素直になるし、ゆきのんも多少は言葉を選べるようになるし、ガハマさんも多少は自分の意見を口に出せるようになる。終盤の卒業式のプロム編に差し掛かってくると、3人の間に不穏な空気が漂ったり、新刊の刊行ペースダウンに飢餓感が高まったりしてやきもきさせられた。12巻である人物が3人の関係を「共依存」と評したシーンが不安感のピークだった。あれは言葉の刃だ。

最後は話の規模がやや大きすぎる気はしたが、比企谷八幡たち3人のストーリーとしても、ボリューム的にも傑作ライトノベルシリーズの集大成として相応しい一冊だった。当て馬プロムのような一見姑息だが覚悟が据わったやり方を貫くあたり、いかにも本作らしい。不格好で歪でも、その人なりの虚仮の一念を胸に秘めて物事に励めば、それなりに格好はつく。八幡の面目躍如だ。ゆきのんの告白、かわいいというかカッコいい。ライトノベルの読書量が読み始めた頃と比較して激減した今となっては、本作の読了をもって自分の読書遍歴に一区切りができたと思う。8年間の自分の価値観の変遷もあって、初期と同じ目で本シリーズを読むことができなくなったのは喜ぶべきか悔やむべきか。

「俺ガイル」の文学性

本作において最も共感できたことが、比企谷八幡が語る物語の文学性である。これはドストエフスキー地下室の手記』や太宰治人間失格』などで語られる実存主義文学と通じるものがある。八幡は彼が人に理想を押し付ける愚かさに自己嫌悪を抱き、開き直って達観したような態度を取りながらも、完全には開き直れていないからだと思っている。11巻で八幡が強く正しい雪ノ下ゆきのんや優しい由比ヶ浜結衣に勝手な理想を抱くも、彼女らにも弱い一面があるのを知って幻滅して自己嫌悪に陥るモノローグには身につまされた。彼は他人に勝手に期待を寄せて、期待通りにならなかった場合に苛立つことを極度に嫌う。そしてその考え方が人と打ち解ける際の桎梏となっているように思える。彼の場合、人を信頼するという行為のコストが極めて高い。

比企谷八幡という人物は、とても潔癖である中途半端が許容できないゆえに、上辺だけの馴れ合いに終始する人間関係を偽物と見なす。自分の弱さを認められないがゆえに、露悪的に振る舞いつつもすることはいつも自己犠牲的である。自分を押し殺して体裁を取り繕うだけの人間関係なら、自分を傷付けてでも破壊してしまえばいい。5巻の林間学校編の鶴見留美との一件などに顕著な周囲に当て付けるかの如く自分を悪役に貶めて人間関係をリセットさせる行為は、彼の潔癖さがひねくれた性格によって屈折して発露させた正義感と言っていい。この手口は腐った体制をテロリズムのような非合法的手段で崩壊させるダークヒーローそのものである。7.5巻において「世の中は厳しいから」という理由で柔道部員に苦痛を強いていたOBに一矢報いるエピソードはいかにも本作らしい。

それでいて自分の行いに納得するどころか、自己評価の向上を諦めてさえいるかのような姿勢が比企谷八幡という人物の複雑さと物語の厚みを増している。どこか人間関係に未練を残している。10巻で見せた完全無欠のリア充とされる葉山隼人と対峙するシーンでは八幡の迷いが明らかになっていた。葉山は周囲の期待通りの役割を完璧にこなし、本人も自分の在り方に納得している。「君が思っているほど、いい奴じゃない」と自らを評する彼に八幡が感情をむき出しにするシーンは、本作の中では異色と言ってよかった。

対してわたしは彼に共感を抱くものの潔癖と呼べる人間ではなかった。中学・高校時代ならともかく、本作を読むようになった頃は既に世俗の塵にまみれて妥協して生きる方が都合がいいと考える日々。何より、世の中の汚らわしさに憤慨してみせるほどの正義感も道徳心も高潔さも持ち合わせていなかった。むしろ自分の倫理観や道徳心を基に世人の無関心さや不誠実さを糾弾する人々を「あんたはそんな御大層なことが言える立場なんですかね」と皮肉を交えて一瞥する側だった。そういった経歴の持ち主としては、八幡の潔癖さを貫く姿勢は筋が通っていて羨ましく思ったことすらあったことを今になって思い出す。

というわけで来春のアニメ3期にもぜひ期待させてほしい。アニメでも彼らなりの間違って生きる青春を見届けることができる日が来るのを楽しみにしている。