中国史上最初の仏教弾圧者・孫綝
気分転換をかねて文章を書くことに。今回は某同人誌会誌に載せる文章に関するネタを扱いたい。
浮屠=仏陀のことだから、浮屠祠は仏教寺院ということになるだろう。道人というのは僧侶のことであろうか。とにかく、史書に記録が残る程度の寺院と僧侶が存在したのだろう。孫権の代にはすでに月氏出身の支謙、康居出身の康僧会などの僧が呉に入って仏典を訳している。*1伍子胥の廟と同列に扱われていることを考えると、呉における仏教はまだ浸透して日が浅く、後の南北朝時代や隋唐帝国におけるそれと違って確固たる地位を得ていなかったと思われる。ああ、先日扱った後漢の楚王・劉英のハイカラ趣味からは一段階進歩したとも言えるが。
また、『高僧伝』の康僧会の章には孫権の他にも、孫皓とのやりとりも記述されている。曰く、孫皓は康僧会から正しい仏の教えを耳にしながら、金銅の仏像を不浄な所に置いて小便をかけて臣下とふざけあったとか。すると陰部に急に激痛が走った。それから仏教に詳しい采女に従い、仏像を洗い焼香して罪を告白し、懺悔したところ、痛みが収まった。これ以来、もともと物分りの良かった孫皓は仏教に帰依し、*2五戒を授かった。*3