疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」

いわゆる世間のモラル=「世間さま」を基準とする日本的モラリズムについて解説した本。この基準には人々の同質性(「みんな同じ」と考えがち)を担保としていること、あらゆることを「モラルの問題」にしがちであるといった特徴がある。

気になった点
・「あなたの意見は論理的には正しい。でも『心』がない」と人が言うとき、この人は世間さまを基準とする日本的モラリズムを前提としている

・「みんな同じ」の日本的モラリズムに反する者は絶対的な悪人として扱われる

・ルールよりモラルを重視しがち。モラルさえ守ればルール違反も美談になる?歴史教師は「赤穂浪士アルカイダもテロリストじゃないか。どう違うの」という生徒の質問にどう答えるのだろうか

・日本的モラリズムは物事の論理的な現状分析、原因特定、目標設定、適切な手段選択を阻害する。今より地球が2~3度暖かくなっても縄文時代並みの気温になるだけなのに、日本人は地球温暖化をモラルの問題だと考え、まるで地球が壊滅するかのように騒ぐ

刑事訴訟法で認められている裁判被告人の「黙秘権」も日本的モラリズムにかかれば「悪の隠蔽装置」

・自由の範囲内でも「世間さまをお騒がせ」すれば謝罪しなければならない

・モラル低下、モラル崩壊と騒がれることが非常に多いが、これは多様化の進展で日本的モラリズムが前提としていた同質性やモラル基準が変化したために生じた、人々の多様化したモラル同士の衝突である。その例が、モンスターペアレンツクレーマーと呼ばれる人々である(世間は彼らを悪人と決め付けるが、彼らの行動原理は自分が脅かされているのではないかという「正義」である)

私という人間は自分の生まれ育った日本という国が好きだが、それでも日本やそこに住む日本人に対して疑問を持つことはある。この本は私が日本人に対して良くも悪くも思っていたことを見事に代弁してくれているように思う。特に、モラル崩壊についての考えは私が前々から持っていた意見には。同意したい「みんな同じ」の前提が大昔からまかり通り続けてきたという事実も驚くべきことである。

でも日本人はもう少し異質性や多様性を前提として物事を考えてもいいのではないかとは思う。モラル崩壊とか低下という言葉にはもううんざりした。それだけ「みんな同じ」という状態が当たり前だった平和な国なんだなあ、と。日本人の乗客に「みんな飛び込んでますよ」と言えば沈没船から飛び降りるという海外のジョーク、それから「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉がこの本で述べられている日本的モラリズムを端的に言い表していると思った。