無節操な日本人
- 作者: 中山治
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2000/06
- メディア: 新書
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日本人の無節操さについて、「情緒原理主義」という言葉を用いて論じた本。
「情緒原理主義」というのは情緒的に納得しさえすれば何でもありという日本人に特徴的なメンタリティ。キリスト教やイスラーム教といった明確な行動原理を奉ずる海外(主に欧米)の「行動原理主義」と対立する概念である。
情緒原理主義的な行動の例としては、戦時中、日本人は「一億総火の玉」、「鬼畜米英」と勇猛果敢な言葉を掲げたが、戦後には「一億総懺悔」、「マッカーサーの子供を産みたい」という何ともしおらしい言葉に取って代わったといったものがある。
他にも情緒原理主義には、以下のような特徴もある。
・都合の悪いことや矛盾(戦前の天皇は人間であるという言説や、戦後のアメリカへの隷属)は「我が心の内なる村八分」として「見ざる言わざる聞かざる」
・葛藤を回避する(日本では癌患者にはっきり宣告することが少ない)
・縁故主義(コネ重視)、閉鎖主義、即物的思考(眼に見えないものを軽視。その代わり眼に見えるものは重視するため、「物作り」は得意分野)
十五年戦争(日中戦争・大東亜戦争)の要因として、「海外勢力に日はないか」という情緒的恐怖があったことが指摘されている。情緒的に行われた戦争なので、「玉砕」が美化され、「弾薬や食糧の不足は大和魂で補え」といった空疎な精神論が罷り通った。「大東亜共栄圏の建設」という戦争の大義はそうした情緒原理主義と欧米の植民地拡大の理論=帝国主義のキマイラだった。
そして戦後は「あの戦争は悲惨だった」として日本中で喪失感や侘しさという情緒に基づいた「平和への祈り」という風潮が支配的になる。ここで日本人は「呪術」に囚われやすいことが指摘され、その中には「血液型と性格の関係性」という似非科学やオウム真理教といった新興宗教といったものもある。
今後日本人が取るべき方針として「自他への懐疑精神を持った行動原理主義者」を目指すことが挙げられている。これは、今までで最善とされる考え方に依拠するものの、それを絶対無謬とするのではなく、欠点を自覚しつつ適応戦略を立てていくというもの。キリスト教とイスラーム教の対立といったような文明と宗教の衝突に日本も加わる必要はない。