疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

東アジア文化圏の形成

東アジア文化圏の形成 (世界史リブレット)

東アジア文化圏の形成 (世界史リブレット)

今は多少聞き慣れた"東アジア世界"という概念がどのような経緯で作られ、どのように使われたか、という問題意識を解き明かした本。著者は私のお世話になった大学の恩師。

"東アジア世界"は中国の他に日本、朝鮮半島、ヴェトナムといった地域を指し、漢字を媒介に儒教律令、漢訳仏教といった制度や文化を受容し、共有した世界として定義される。そういう意味で、戦時中の日本が提唱した”大東亜共栄圏”とは意を異にする。 "東アジア世界"という概念を問題としたのは、"冊封体制"という用語を提唱した西嶋定生や、一高校世界史の教科書検定に不合格となった『日本国民の世界史』の著者である上原専禄といった1950~60年代の歴史学者

では、なぜ彼らはこうした問題意識を持つようになったのか。それは当時の現実認識、つまり当時の日本が直面していた危機と密接に関係する。それは日本国民が戦前の独善的な史観(一国史観)を克服し、自分自身で世界史像を形成することが要請されたためだった。その必要性から、日本一国という枠を超え、その政治、経済、文化の動きの流れを周辺地域まで敷衍させて考えるための"東アジア世界"という概念が提唱されるようになった。

「現実と向き合い、未来に向かって意欲することなしに過去の解釈、歴史像の構想などありえない」という言葉は肝に銘じておきたい。