横手慎二『日露戦争史 - 20世紀最初の大国間戦争』中公新書
- 作者: 横手慎二
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/04/25
- メディア: 新書
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第0次世界大戦は如何にして起きたか
日露戦争の歴史的意義や当時の国際政治の背景について述べた本。特に戦争に至る経緯についてはかなり詳細に筆を割いている。日本側はともかく、ロシア側はかなり重臣間の見解の不一致が深刻だったことがわかった。
さて、当書を通じて参考になったポイントを4点に絞って述べてみよう。
1.三国干渉
ロシアが三国干渉を行った背景としては、蔵相ウィッテの影響が大きい。彼は皇帝専制下での国力増強を図り、シベリア鉄道建設を推進していたが、日清戦争での日本の予期せぬ勝利から、日本の膨脹を警戒し始めた。そこでドイツやフランスを巻き込んで日本を圧迫、遼東半島を清に返還させ、その見返りとして旅順・大連など関東州の租借権を獲得。東清鉄道や旅順軍港の建設といった政策に着手する。
一方で満洲ではロシア人の増加に反発した清人が破壊活動を始める。これに対してロシアは軍を奉天省に進出、駐留させたが、日本やイギリスの不安を増大させる結果となった。
2.日英同盟
19世紀においてイギリスは孤立主義*1を掲げていたが、日英同盟の締結はなぜ円滑に進んだか。それについては、日本とイギリスがロシアの南下を警戒するという見解で一致したため、というのが通説である。が、著者はこれに加えて2つの要因を挙げる。
1つ目は満蒙交換論を持説とする対露協調派の重鎮である伊藤博文が国外にあったのに対し、ロシアとの戦争は免れ得ないとする山縣有朋が条約を支持した点。
2つ目は内容の限定性。即ち、両国の一方がロシアと交戦したことで、第三国がロシア側について攻撃された場合のみ直接軍を派遣するという内容である。当時イギリスは露仏同盟を控えていたため、日本につくかロシアにつくかで揺れていたが、この限定的な内容のために、日本につくことを決めたという。さすが三枚舌外交でパレスチナ問題の火種を作った国なだけはある。
3.開戦
その後、日露両国は朝鮮半島や満洲の権益を巡って交渉を重ねるが、互いに譲らなかったため、日本には戦争のみが有効な打開策となっていた。開戦すると、日本は陸軍の黒木為腊大将らや海軍の東郷平八郎大将らが朝鮮半島と制海権の確保により先制、ロシアは鉄道の輸送能力の不足と総司令官アレクセーエフと満洲軍司令官クロパトキンの不和により混乱していた。
その後は旅順攻囲戦や奉天会戦などの消耗戦が続き、1905年9月、アメリカの仲介によりポーツマス講和条約を結ぶことになった。戦争の経過について、本書ではさらに詳細な内容に触れているが、ここでは省略。
4.日露戦争とは
ここでは本書の内容を概観している著者の見解を引用する。
以上に見てきたように、日露戦争はその規模においても、また用兵のレベルでも、利用された兵器のレベルからしても、さらには長期戦を支える前線と銃後の密接な関係からしても、この時期に頻繁に起こった植民地戦争とはまったく異なるものであった。ひとことでいえば、戦争は普仏戦争以来三〇年以上も存在しなかった大国と大国の戦争だったのである。ここには、塹壕戦と機関銃の組み合わせ、情報と宣伝の利用能力、制海権の確保に関わる陸軍と海軍の連携など、ヨーロッパ諸国が第一次大戦で学ぶ戦争技術のほとんどが、明瞭に、もしくは萌芽の形で現れていた。ロシアは、日本を基本的に植民地レベルの国家とみなしていたために、厳しい試練を味わったのである。(同書194頁)
この他、後世への影響としては、日本での日比谷焼打ち事件や藩閥政治批判による政党政治を志向する世論の形成、ロシアでの国会開設*2などが挙げられる。もちろん、第一次大戦の陣営が日露戦争の時点でほぼ決定的になったことも忘れてはならない。そういう意味で日露戦争は「第0次世界大戦」と呼ぶこともできる。
全体として。あまり一つの戦争に注目して本を読んだことはなかったので、骨は折れたが勉強にはなった。あと、賛否両論はあるけど司馬遼太郎『坂の上の雲』も読んでおきたいところ。