疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

世の中、そういうもんでしょ。世の中って厳しいっすよね

どうせ働きだしたら書く時間も心身の余裕もなくなりそうなので、時間も気力も持て余している今のうちに書きたいことを書いていくスタイルを貫きます。

最近Twitterで痛感したことを一つ述べたいんですが、それは「無能な働き者」の害悪です。特にいわゆる政治厨のような、政治的信条の合わない人間を見下し、罵倒するような連中の醜悪な乱痴気騒ぎ。そういう光景をうんざりするほど見てきました。

別に人様の政治的信条が左であれ、右であれ、私は然程気にしませんが、問題は程度と心根です。強固な妄執を抱くあまり、何かにつけて人をファシスト呼ばわりしたりノンポリまで敵視したりする左巻きも、自分を「日本を愛する普通の日本人」と称して中韓を貶める右巻きも果てしなく鬱陶しい。

で、こういう連中に限って常に妙な上から目線でものを語る。「〜しなきゃダメじゃないか」「普通の〜だったらお前のようなことはしない」「お前のためを思って〜してやってるんだ」などと。自分の側が正義で、未熟者や悪人を説教、糾弾する側だと錯覚しています。ここまで来ると、問題は最早政治的信条に留まらないことが明白になってきます。こういう輩が身近にいると(私の場合、ほとんどありませんでしたが)もう絶縁したくなります。「無能な働き者は処断せよ」と言ったゼークトの気持ちがよくわかる。

政治厨の問題とは離れますが、個人的にさらに有害なのが、自分の苦労を美化して他人にも味わわせたがる、ありがたくないお方。「世の中理不尽なのは当然だ」と言って、わざわざ理不尽を用意して試練を課して下さるその慈悲深い心意気に、瞋恚の炎を以て応えたくなります。

私は「俺の苦労をお前も味わえ」などという言説など百害あって一利なしだと思っています。このようなメンタリティを持つ人間はたとえ他の要素がどれほど優れていようとも、鼎の軽重が疑われます。十中八九無能な働き者が金科玉条にしそうですけど。

さて、体育会系ネアカに無能な働き者と、二回続けて好きなものより嫌いなものを延々と語ってしまったので、次回こそ好きな事柄について話したいと思います。