疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

僕は、人の魂の輝きが見たい

唐突ですが、私は人間が寄り集まってできた社会なんてとんでもない、ろくでもないものだと認識しています。社会の中で生きるということは、ちょうど急流を舟で渡るようなもので、うかうかしていると自分の意志とは無関係にどこかに流されてしまう。

「社会」を構成する人々について、ルソーは『人間不平等起原論』で
未開人は自分自身のなかで生きているのに対して、社会人は常に自分の外にあり、他の人々のなかでしか生きることができない。 ルソー『人間不平等起原論・社会契約論』中公クラシックス 135頁

と述べています。ここでの「社会人」は「文明人(未開人との対比)」とほぼ同義です。社会の中で暮らす以上、他者との妥協、折り合いが已むを得ない場合はあるが、その上で自分の意見をしっかり持たないとあっという間に埋没してしまう。私は社会をそのように認識しています。

人間不平等起原論・社会契約論 (中公クラシックス)

人間不平等起原論・社会契約論 (中公クラシックス)

ノーベル文学賞作家であるヘッセの『車輪の下で』という小説を読んで衝撃的だったのですが、本作で主人公ハンスが通っていた神学校の校長のように「自然」の側にあった子どもたちを社会の「秩序」の枠の中に収まるよう「教育」することに快感を覚える大人はいるものだとゾッとした憶えがあります。校長に悪意はなく、むしろ使命感を持っていたあたり、余計に恐ろしく思いました。

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

では、「自分の意見を持つ」にはどうすればいいか。そのヒントとなるのが「したいこと」と「すべきこと」の両者を区別することだと私は考えます。

そのテーマについて考えさせられたきっかけが、アニメ「ラブライブ!」の絢瀬絵里のエピソードでした。

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新入生が集まらなければ廃校するという音ノ木坂学院の生徒会長として、廃校を阻止するために手を尽くすも空回り。そんな中、学校の知名度を上げて新入生を集めようとスクールアイドルとして活動し「したいこと」に邁進していた穂乃果。絵里は生徒会長として「すべきこと」を優先して「したいこと」を我慢しているにもかかわらず廃校を食い止められないのに、穂乃果たちは自分の「したいこと」を謳歌しているのに自分以上に成果を挙げている…。そんな紆余曲折を経て、絵里が自らの立場や、それまでの挫折感や嫉妬の混ざった感情、乗り越えて「自分もスクールアイドルをやりたい」として穂乃果たちμ'sの仲間入りを果たしたのは、本作の中で最も印象的な場面でした。と同時に、私も「すべきこと」ばかりにかまけても空回りすることが多いし、「したいこと」もしていかないと人生上手くいかないと悟った瞬間でもありました。

というわけで、自分がしたいと思ってする行為にこそ価値があるということを結びとします。