疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

Burn my dread

今日もぼちぼち生きております、Kamikamiでございます。今後は忙しくなって更新がしにくくなると思うため、今のうちに言いたいことは言っておきたいと思います。

前回の記事で「~するべき」「~しなければならない」ではなく「~したい」と思うことをすることで人生が好転した、と言ったことを述べましたが、これは人間関係については強く実感します。社会的には大人と呼ばれる歳になって、人間関係を選択する権利を得たことは大いに喜ばしく思います。嫌な奴とは徹底的に距離を置く。特に仕事と関係のないプライベートの場では。

先日Twitter






なんていう一連のツイートをしましたが、時に触れてこの内容を反芻する日々であります。何だかんだで私のストレスは人間関係に端を発するものばかりだなあ、と。そりゃあ会社では当然嫌な奴*1に遭遇してしまうことは多いだろうが、10代の頃のように学校という同調圧力や狎れ合いの横行する閉鎖的な空間よりはこちらが取れる選択肢は増えたと思っています。

現代人はコミュニケーション不足だとか、コミュニケーション能力が欠如しているだとかよく言われますが、これは現代のコミュニケーションの本質を捉えていない上滑りの発言です。一昔前だったら携帯メールやら学校裏サイトで、今だったらLINEのようなSNSで言葉をやり取りし、干渉を迫る。コミュニケーション不足どころか、コミュニケーション過剰です。コミュニケーション過剰だからこそ、コミュニケーション能力とやらのある人間が高く評価されます。だから、STAP細胞小保方晴子や、小学4年生を装って「なんで解散しないんですか?」というサイトまでぶち上げて大顰蹙を買った青木大和のような、コミュニケーション能力だけの軽薄な人間が一時的にとはいえ持て囃されたわけです。

まあ、負け惜しみを言っている気がしますが、せめて仕事の場では相手の話をきちんと理解したうえで、自分の考えをしっかり伝えられる程度までコミュニケーションをできるようにしていこうと思っています。それが一番にして唯一の近道だと思いますので。

*1:特に上司がこれだと辛い