疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

20150819_遠州掛川

去る19日(水)に静岡県掛川市まで日帰り旅行に行ってきたので、その様子をば。目的地は掛川花鳥園掛川城

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何気に遠州は未踏の地

往路の東名高速富士川SA。ところによってはにわか雨が降る天候で雲が厚く、富士山は姿を隠しがちだった。


この後は掛川へ。途中「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と言われた旧東海道の難所、大井川を渡り、中学校の修学旅行以来、ようやく駿河から遠江へ。


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掛川花鳥園到着。メインの建物は昨年行った富士花鳥園ともども、武家屋敷を転用したような古風な和式の佇まい。

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バードショー。観客の頭上すれすれをフクロウが滑るようにして飛んでいくのには迫力がある。フクロウは獲物を捕らえやすくするため、羽毛が柔らかく、羽音を極力を抑えるよう進化しているというのはここで知った。

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温室にはいろいろな鳥が。このメキシココガネインコ、噛む力強すぎィ!

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小さい子供だったら乗れてしまうオオオニバス。葉の裏には棘がいっぱい。

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シロクジャクエミューといった珍しい鳥も取り揃えておりました。


さて、ところ変わって掛川城へ。文明年間(1469-87)、今川氏親*1の家臣の朝比奈泰煕が建てた城で、日本百名城の一つ。最も有名な城主は山内一豊で、彼が土佐藩高知城に入るまでの居城だった。江戸時代に入ると藩主が目まぐるしく変わったが、1746年に太田道灌の血筋にあたる太田氏(太田資俊)が幕末まで代々藩主を務めることに。

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小高い丘の上に建つ天守閣。内部の急な階段や狭間は、城が防衛施設であったことを物語っていた。

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天守閣内に展示中の山内一豊の騎馬像と、しゃちほこ。

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天守閣最上階からの眺望。市内を一望でき、城に登ったという手ごたえをきちんと感じた。


次に国重要文化財掛川城御殿。江戸時代後期に建てられた城主の住まいであり、政務を執る役所としての役割も担っていた建物。

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執務室である書院造の部屋から刀や鉄砲、模型などありとあらゆる物品を展示中。写真にはおさめられなかったが、足軽を監督する足軽頭の詰め所や、有名人(俳優の小栗旬氏や現徳川家当主の徳川家広氏)のサインなども充実。

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大名行列の解説。なぜかこの解説の英訳は気合が入っていた。

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復路の足柄SAでようやく富嶽の威容を目の当たりにすることができた。うっすらではあるが。