20160521_伊豆韮山&小田原
前々から見学したいと思っていた韮山反射炉他、観光地に行った話。
駿豆線
まず駿豆線で韮山反射炉の最寄り駅である伊豆長岡駅に向かう必要があるが、まず小田原駅から東海道線で三島駅へ。途中、JR東日本とJR東海の管轄の境界になる熱海駅で乗り換えることに。丹那トンネルという8kmほどの長いトンネルを抜け、函南駅の次に見えてくるのが三島駅。ここでようやく乗り換えられる…。
どうやら三島市の隣、沼津市を舞台とする夏期アニメ「ラブライブ!サンシャイン」とコラボしたラッピング車両の模様。
韮山反射炉
韮山反射炉は蘭学や海防政策に通じていた韮山代官の江川英龍(坦庵)の建言で建造された、大砲等の製造を行う溶解炉。強度の低い銑鉄の精錬して鋼鉄を作り出す、当時最先端の技術の結晶である。煉瓦造りだが、耐震補強のために鋼鉄のフレームで覆われている。先に佐賀藩や薩摩藩が独自に反射炉を建造していたが、後を追う形で幕府も建造に踏み切った。
2015年7月に世界文化遺産に登録されたためか、土産屋やレストランの他、大型バスが何台も駐車できる広い駐車場があり、観光地としての整備が進んでいた。
世界遺産登録の決定やらで修正箇所だらけの案内板。世界遺産の数が増えているからって、もはや世界遺産にありがたみがないとか言うのはやめて差し上げろ
写真に写る銅像の人が反射炉を建造させた江川英龍。江戸の防衛を目的とする江戸の品川台場(お台場)も設置させたのも英龍である。
ベンチも反射炉の形なのがかわいらしい。
江川邸
先に紹介した英龍の他、江川家歴代当主が暮らしたのが韮山反射炉からほぼ真北、3km離れた位置にある江川邸。英龍は韮山の地で江川塾*1を置き、政務の傍ら銃や大砲の製造法、砲術、陸海軍の編成法などを門下生に講義した。門下生には橋本左内、佐久間象山、木戸孝允、黒田清隆、大山巌、大鳥圭介といった錚々たる顔ぶれが。また、江川英達はオランダ軍が使っていた号令を「気を付け」「右向け右」「回れ右」などと日本語に訳す、日本で初めてパン(乾パン)を製作する、といった業績を持つのも英龍である。
本邸や蔵だった建物は史料館として利用されている。本邸には古文書や火縄銃、射撃に使われた的、射撃の成績表、英龍が製図した炉の構造図(のコピー)といった展示品がある。
蔵の方に展示されているのは主に生活用品。茶臼、燭台、やかんなどなど。隣の蔵には重さ36kgの大筒や大砲の弾も。
韮山城跡
後に小田原城を奪取した北条早雲が築き、拠点としたのがこの韮山城。現在あるのは遺構のみで、小高い山の上に位置した。
江川塾を源流の一つとする韮山高校。県内最古の高校であり、有数の進学校でもある。山中には高校のテニスコートもあった。
本丸があった山頂からの眺め。やはり高いところから眺めると、田園風景が広がっていることが手に取るようにわかる。
小田原城
再び熱海駅についたあたりでTwitterのフォロワーの下川さんから連絡があり、小田原城ほか小田原市内の観光案内をしてくれるということで小田原駅で待ち合わせることに。
今回は下川さんの案内で裏側から入城。米蔵を置いた御用米曲輪の他、庭園や石塔の遺構が発掘されたことを伝える新聞の紙面が掲示されていた。中は立入禁止ということで、写真を撮ってみる。
北条氏康の時代に上杉謙信や武田信玄の侵攻を食い止めた難攻不落の城として有名な小田原城だが、現在の小田原城天守閣は1960年に、江戸時代の天守閣をもとに再建されたもの。5/1に耐震工事を終えてリニューアルした天守閣に入りたかったが、ほんの数分の差で天守閣の入場券が買えず。昼の平塚駅での人身事故のせいで遅れたことが響いたか。地元(?)の城ながら、実は小田原城の天守閣に登ったことはない。
近年建て直された常盤木門と銅門。江戸時代に入って規模を縮小されてなお、小田原城の縄張りは広大で、構造物にも威容があったことを物語っている。
市内観光
続いて案内されて向かったのが、黒田長成侯爵*2の邸宅である清閑亭。風格はあるものの、一見侯爵の家には見えない形式ばらない瀟洒な佇まいが素敵だった。相模湾や箱根山を一望できるのような100年以上の歴史を持つ邸宅を無料で一般開放している小田原市に脱帽。
小田原駅にほど近く、商店や飲食店が立ち並ぶ中にあったのが小田原開城後、開戦の責任を取って切腹した北条氏政・氏照兄弟の墓所。周辺の商店で200円で供養の鈴が販売されていたのが何とも言えない。
なかなか知られていない遺構が、氏政の代に豊臣秀吉から小田原を守るために築かれた総構。これは小田原城を囲むように溝状の空堀と土を盛った土塁
で、全長9kmという大規模なものになっており、大名北条氏の政治的動員力の大きさの証左になっている。小田原城の周辺にアップダウンのある地形が多いのは、総構の名残だという。あまりにも規模が大きかったため、中途半端にしか整地できなかったそうな。小高い場所に住宅などの建物があったり、竹林の中にV字状の切り立った溝があるのが、その証。
日が落ちて。韮山での移動と合わせて、計3,4時間は歩き通しだったので、この時点でなかなか疲れていた。時間の余裕はあったため、小田原駅東口付近にある居酒屋に2人で入店。下川さんとお会いするのは初めてだったけど、酒の席であることも手伝って、戦国時代や小田原の話を中心になかなか盛り上がった。疲れた身体に酒が染み渡るようだったし、鰺のたたきを中心に料理も美味だったので、疲れが取れたような感じがした。