疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

三酔人経綸問答

三酔人経綸問答 (光文社古典新訳文庫)

三酔人経綸問答 (光文社古典新訳文庫)

「経綸」とは国家のヴィジョンのこと


本書は欧化主義を主導する明治時代の思想家であった中江兆民が南海先生、洋学紳士君、豪傑君の三人と鼎談という形で各々天下国家について語る思想書となっている。対話の形式で議論を展開するのは『論語』や『対話篇』にもつながるもので、本書もまたこの系譜の上にあることがよくわかる。

今思えば洋学紳士君の思想は性急な理想主義であった。不完全なものが完全になり、醜いものが美しくなっていくように、専制国家が民主制国家へと進化を遂げていく、という主張はまだいいとして、欧州諸国ですら未だ君主を推戴して民主制に移行しないことに苛立ったり、自由な民主制の下では人々は穏やかで品位があるので争いごとは好まない、と息巻くのは少し滑稽に写った。そういうわけで、洋学紳士君は南海先生に国内の実情や国民の知的水準のような要素を考慮せず一足跳びに民主制の導入を目指すことは思想的専制につながるという危うさや、専制国家ながらも高度な文明を誇ったエジプトやペルシア(イラン)には進化の神はいなかったのか、といった持論への矛盾を指摘される。

豪傑君の主張は独善的な英雄主義であるように思った。富国強兵はともかく、隣の大国から領土を切り取って横暴な欧州諸国と渡り合うというもので、これもまた洋学紳士君の主張とはまったく異なる意味で非現実的であると思った。南海先生でなくても、過去の英雄譚でならあり得たかもしれないが、このご時世に同じことをやってみせるのは壮挙ではなく暴挙であると言いたくなる。当時としては、というか当時の欧州ではまだ常識だったのかもしれないが。癌を切除するように国内の古い元素(不満分子)を集めて対外戦争に駆り出そうという主張も見られたが、これは西郷隆盛征韓論のことであろう。

一見180度異なる二人の持論に共通するのは、欧州諸国に対する脅威や偏見が滲み出ていること。洋学紳士君は他に欧州諸国が道徳や経済の原則を無視していたずらに他国に力を誇示することに触れているし、豪傑君も欧州諸国の横暴さを知っているからこそ、同じようなやり方で彼らに対抗する必要があると認識している。異なるのは、欧化主義によってヨーロッパの仲間入りを果たすことで対等な国として認めさせることを目指すか、力によって他国を制圧し、同等の力を持っていることを認めさせるかというアプローチの仕方の違いのみ。こうした主張が見られたのは、日本の周辺の中国(清)、ベトナムやフィリピンなど東南アジア諸国の領土が植民地として蚕食され、その情勢下で不平等条約により開国を迫られた危機感に基づくものであろう。このような危機感を血気盛んな若人二人が抱くのも、さほど不思議なことではない。

一方で南海先生の主張は憲法の制定、議会の設立、植民地の不拡大方針、近隣諸国との平和外交という現実主義に沿ったごく真っ当なもの。他国に攻撃された際は専守防衛の姿勢をとり、言論や出版の規制は次第に緩和していく、というのも当時の実情を踏まえた内容である。真っ当であるがゆえに血気盛んな若人二人から陳腐がられるものだった。この南海先生の主張は、後の日露戦争への機運が高まる中で非戦論を唱えた内村鑑三や、「一切を棄つるの覚悟」の中でいたずらに対外に植民地を求めることを戒めた石橋湛山の思想(小日本主義)に通じるものがあった。