アジア史論
- 作者: 宮崎市定
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/03
- メディア: 新書
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歴史学とは
正確に過去を知りたい、多少なりとも将来を予測したい、現在を後世に伝えたい、この三つの希望が人類の本能であるとするならば、歴史学は人間の本能に根ざした学問であると言える。 本書2頁「世界史序説」
引用したのは宮崎市定の「世界史序説」の序文の冒頭で、学生時代に読んで以来、心に留めている一節である。過去を知ることは現在を知るための鍵であり、歴史学が人間の本能に根ざしているからこそ、歴史を知ることは人間を知ることでもあるのだな、と。
本書は東洋史の碩学による論文集。まとめて読むことで単に一国や一地域単位ではなく、東アジア、西アジア、ヨーロッパの三地域の時代区分の時間差や相互作用について俯瞰できる内容になっている。著者が西アジアを論ずる論文を一つ挟むことで、著者が西アジアについても重視していたことがよくわかる。
著者宮崎市定が最も多くの頁を割いているのは「東洋的近世」と題する、中国の近世(=宋~清代)の付いての概論であり、唐宋変革論を唱えた内藤湖南について、師の説を補強、継承している。その中で隋の煬帝による大運河の開削といった交通の歴史やヨーロッパや西アジアの歴史との比較検討など、新たな視点を多く採り入れているのがこの「東洋的近世」である。
両者の違いはやはり戦前と戦後という学者としての活動時期の相違に由来するものである。内藤が欧米諸国に追い付くことや旧態依然としたイメージ(狭義のオリエンタリズム)の払拭を図ろうとしたのに対し、宮崎は満洲事変以来日本が国を挙げて行ってきた戦争の反省とその反動としての卑屈さや劣等感の克服が念頭にあるように思った。特定の古代や近世といった特定の時代や地域のみで歴史を区切らず、アジアという地域単位での通史(あるいは世界史)、という捉え方をしたのもむべなることである。
歴史の輪郭と動態
本書を読んでいて目から鱗が落ちたのは、求心力と遠心力を通じた歴史の見方である。中国史で言えば、複数の国家が分立する春秋戦国時代に一つの強国による統一を志向する求心力が働いて秦や漢による中国統一(古代帝国の成立)が成し遂げられ、後漢の末期にあたって災害の連続や政治腐敗によって求心力が低下して分裂を志向する遠心力が働いて三国時代やそれに続く南北朝時代(分裂の時代)が到来した、というのがその概略である。これは西洋で言えばローマ帝国の成立とその分裂、日本で言えば奈良時代~平安時代の律令制の確立と武家政権の成立による王権の分裂がそれに当たる。
中世の流れを受けた近世では再び求心力が働き始め、その結実として強固な求心力を基盤とする国家が成立する近代を迎える。これもまた中国史で言うと宋の統一から元、明、清といった塞外の民族からの接触や被支配を経て近代主義を旨とする中華民国の成立までの時代に当たる。近世は中世を克服する動きに連続するが、近世への移行のきっかけとして古代文化や原典の回帰が起こり、結果的にイスラーム教の誕生、ルネサンス・宗教改革や宋学(朱子学)の成立、鎌倉仏教の誕生に相当するという見方が刺激的だった。
本来ならより詳細に内容をここでも取り上げていきたいが、教科書的な知識の網羅に終始しそうなので控えることに。内藤湖南の『東洋文化史』の記事でも考えたことでもあるが。