プリズマ☆イリヤ 雪下の誓い
アニメ版「Fate/Zero」からFateに入り、現在はFGO漬けの日々を送るダメ人間による劇場版「プリズマ☆イリヤ 雪下の誓い」の感想。Fateシリーズの設定の知識はあること前提でのお話となります。
事実上のプリズマ☆シロウ
実を言うと「プリズマ☆イリヤ」に関してはコミック版を第二期「Zwei」まで読んだものの、アニメ版は未視聴という状態で見ることになった「雪下の誓い」。それでも楽しめたのが本作。一言で言うと「Fateらしさが凝縮されていた」。「魔法少女ものの皮を被ったFate」という巷間の噂通りの評価で間違いないだろう。偽者や作り出された生命が本物や強者を相手取って時に凌駕する生命讃歌であるあたりは特に。
見出しで述べた通り、本作は「プリズマ☆イリヤ」でありながら、事実上の「プリズマ☆シロウ」だった。時系列的には本編の前日譚、イリヤが美遊に出会う前。プリヤの世界は本家Fateの世界とはパラレルワールドの関係だが、本作の衛宮士郎は神稚児(現人神)として祀られていた朔月美遊*1を引き取った切嗣の養子・美遊の義兄として登場する。本家Fateにおいてイリヤが聖杯であったように、美遊が本作世界での聖杯であったことから、エインズワース家のジュリアンは彼女を連れ去り、願望器として利用しようとする。と、ここまでが本作前半までのあらすじである。
注目したのはやはり士郎を主役に据えたFateらしい戦いの物語。美遊を連れ去ったジュリアンに相対すべく、クラスカードを所持した7人のマスターとの戦いに勝ち抜くことを余儀なくされる中。アサシンのマスター*2に後輩の桜を目の前で殺されて窮地に陥るも、アーチャーのクラスカードのインストールに成功し、アーチャーのマスターとして戦場に立つ。この逆転劇は見ていて胸が透いた。ワカメ許すまじ。それにつけても桜を殺した時の感触を「射精の100倍気持ちよかった」と表現するワカメ、包み隠す気を微塵も感じさせず、恐ろしさよ。
士郎とアーチャーといえば、本家Fateの英霊、アーチャーエミヤを思い起こさせるが、両者をオーバーラップさせつつも、「プリズマ☆イリヤ」の衛宮士郎として差別化している。このあたりに、制作陣の力量が感じる。本作の士郎は切嗣も目指した秩序・善属性の自分を犠牲にしてでも正義を貫徹する「正義の味方」よりも、「Fate/Stay Night」のなかでも「Heaven's Feel」の士郎における士郎一個人(HFでは桜)を守る立場に立つ混沌・善属性に近いもんね。終盤で対決したアンジェリカがイガリマ・シュルシャガナや天地乖離す開闢の星を使用する中、固有決壊を展開して無限の剣製で勝利をもぎ取ったのは、「Unlimited Blade Works」で士郎が同様の戦法で王の財宝を防いでギルガメッシュを降したことのセルフオマージュか。「体は剣で出来ている。血潮は鉄で心は硝子」の詠唱はいつ聞いても心に響く。こういうものを見たかったんだ、としみじみ思う。
あとFateシリーズのファンとしてはアトラム、雁夜、ケイネスがそれぞれクラスカードを用いて士郎の前に立ちはだかるという展開はサービス精神を感じられた。こういうさり気ない登場のさせ方をするとは、制作陣はよくわかっている。