疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

職業としての政治

職業としての政治 (岩波文庫)

職業としての政治 (岩波文庫)

政治やそれを行う政治家にとっての本質を述べた古典的名著。著者のマックス・ヴェーバー政治学社会学を学ぶなら不可避の著書。

ヴェーバーは国家とは「ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を実行的に要求する人間共同体」と定義する。ここでいう「暴力」とは共同体の構成員、つまり軍隊や警察といった組織を用いて国民を強制的に従わせる力であり、「権力」と換言できる。国家がこうした権力を独占するのはマキアヴェリ政治学以来の定説とされる。

この本には「職業政治家」という言葉が登場する。これは政治「のために」生きる人とされ、前近代では聖職者、知識人、貴族など支配者に奉仕する人々が当てはまった。近代に入って民衆の代表者による政党や内閣が国政の中心となると、政治「によって」生きる人が現れる。そこで個人的に関心を持ったのは、「政治指導者とその部下の補充を金権的でない方法で行われるには、政治の仕事に携わることで、その人が定期的かつ確実に収入を得る自明の前提が必要」という記述である。ここを読むと、「政治家は清貧であるべき」とか「議員報酬を減らそう」という言説は必ずしも正しくないということを身に抓まされた。

本題とも言える、「政治家に必要な資質とは何か」ということについて、ヴェーバーは「判断力」、「責任感」、そして「情熱」と述べている。ここでいう「責任感」とは政治の原理原則を踏まえつつも目的を達成しようという「責任倫理」。政治が暴力を孕む以上、手段が道徳的にいかがわしくなることからは免れ得ない。となると、「動機や手段がけしからん」と感情的、道徳的に政治家の行いを批判することは的外れである。政治家は自らの行いの結果で評価されるべきであろう。

最後に「判断力」と「情熱」について。ヴェーバーは政治を「情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」に譬えている。そして「現実の世の中がどんなに愚かで卑俗であっても挫けない」、「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず』と言い切る自信のある人間だけ」が「政治への天職」を持つと述べる。

100ページ前後という分量の中に国家や政治に必然的に伴う権力(暴力)の問題、政治家に不可欠な資質についての本質が凝縮されている。非常に濃度の高い一冊。 大いに示唆に富んだ内容であり、文章そのものも非常に論理が明快で、お手本になりそうなものばかり。