ヴァイオレット・エヴァーガーデン
心から美しく思える芸術のようなアニメを見た。
届かなくていい手紙なんてない
本作は主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデンと同名のアニメ。ヴァイオレットは育ての親で「愛してる」を教えてくれたが、今はMIAとなり行方が杳として知れない恩人ギルベルト・ブーゲンビリア少佐を探しながら、タイプライターで手紙の代筆を行う「自動手記人形」として働く毎日を送っている。舞台のモデルは第一次世界大戦後のヨーロッパだろうか。
序盤のヴァイオレットは、一挙手一投足から本当に戦争しか知らない世界で生きてきたというのがよくわかる。少女版相良宗介*1だ。京アニつながりで。自動手記人形の仕事を通じて、手紙に込めた人の思いを少しずつ学んでいく。
各話とも1話で完結するストーリーが連続するオムニバス形式だが、1話1話の内容とキャラクターの感情の動きの濃やかさ、そしてそれらを支える作画のクオリティとどれをとっても贅沢。肥沃な土壌と降り注ぐ日差しの下、瑞々しく豊かに実った果実を頬張っているかのような感覚がした。格調の高さとうっとりするような芳しさも漂う、まさに五感で感じる作品だ。
特に6話の真夜中の天文台から見えた満点の星空と彗星、8話の落ち葉漂う池の上をジャンプするシーンの美麗さは息を呑むようであった。アニメでここまでやるか、と感嘆するほかなかった。もう見ていてLife Is Beautifulとしか思えなくなる、生の祝福と愛の賛歌だ。ルクリアもシャルロッテ姫もリオンもその場限りのゲストキャラにしておくには勿体無い。
兵器として戦場で育った少女の戦後
本作のもう一つの切り口はこういったところだろう。ギルベルト少佐がヴァイオレットに誰にも命令されることなく自由に生きるよう伝えたのは、やはりカリーニン少佐が宗介に「イキナサイ」*2言い残したのを彷彿とさせる。
ヴァイオレットが人の心を知るにつれ、ギルベルトの親友でもあるホッジンズ社長の言う自分の「火傷」に気付いて苦悶する展開がとても秀逸。かつて戦場で多くの敵兵を殺めた行為に対する慚愧の念と罪悪感が芽生えたのが、手紙を代筆して届ける仕事がきっかけであったというのは何とも皮肉だった。
届かなくていい手紙なんかない、という作中の名言通り、手紙には宛先の相手が必要だ。だがヴァイオレットがかつて殺めた人の中には、手紙の宛先もいたかもしれない。彼女は人の心を学ぶうちに、自分の行いが取り返しの付かないことであることを悟ってしまったのだ。
社長ことホッジンズ中佐は過去の自分の行為に苦しむことを「火傷」に例えた。だが、例の事件の後に視聴する身には、新たな意味を内包してしまったように思えてならない。制作当時は知る由もないことだが。
9話で過去の自分の行いの取り返しのなさに断腸の思いを抱くヴァイオレットに向けてホッジンズがかけた言葉。
「してきたことは消せない。でも、でも…… 君が自動書記人形としてやってきたことも消えないんだよ」
ヴァイオレットは戦場で多くの命を殺めてきたが、戦後は手紙を通じて多くの人の思いを運んだ。その業績は確かなものであることを伝える、心に響く言葉だ。
無粋の極みであるが、本作について敢えて苦言を呈するなら、内容が上品というか高尚すぎるように思えた。悪い意味でもいい意味でもネタにしにくい。ヴァイオレットがまっすぐすぎて、素直になれない自分に後ろめたさというか至らなさを感じている身としては、忸怩たる思いを禁じ得ない。
ヴァイオレットだけに、西洋風の庭園の四阿でハプスブルクの皇妃も愛したスミレの砂糖漬けと一緒に紅茶を飲みながら鑑賞するのがお誂え向きの作品という感じ。
P.S.「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が好きな人は「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」とか「終末のイゼッタ」あたりも好きそう。
*1:『フルメタル・パニック!』の主人公である傭兵の少年。日常の些細なことまで戦闘行動に結び付ける平和ボケならぬ戦争ボケ