疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

PSYCHO-PASS

第1話

第1話

<正義>に、抗え。

「PSYCHO-PASS3」放送に合わせて復習。通常版はリアルタイムで視聴していたこともあって、今回は45分ほどの回を11話構成とした新編集版を視聴。久々にシビュラシステムのある世界観に触れたが、率直に言って最高に濃密な時間を送ることができたと思う。「Fate/Grand Order」の2部3章が虚淵玄脚本で本作の世界観に通じるものがあったために尚更*1

1話の時点でシビュラシステム下の人間と社会に加え、システムが標榜する理念の是非に対する疑問提示までいてなかなかコンパクトに仕上がっていた。いくら色相が健康であろうとも、ふとした拍子で執行対象に堕せば誰もが社会から排除される。朱がそのような社会の在り方に疑問を呈し、話の事件で人質になった女性を保護したきっかけが皮肉にもシビュラシステムを前提とする教育が成せる賜物だと思しいあたり、よくできた構成だと思う。

朱が狡噛のことを知ろうとすることで物の見方や考え方が彼に近付いていくのを征陸のとっつぁんに諭されるのが印象深い。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗く。潜在犯である執行官だからこそ犯罪者の習性を熟知しているという理論は「金田一少年の事件簿」の高遠遙一が犯罪者の思考や言動をなぞる探偵こそ犯罪者に最も近しいことを指摘したことに通ずるものがある。

とはいえ朱も終盤になると当初と較べてだいぶ成長した。あの狡噛とタッグを組んで数々の事件で揉まれれば無理もない話だが。シビュラシステム相手に取引して説得を試るほどタフになって後世可畏と言ったところだ。放送当初、花澤香菜という声優のことをよく知らなかったが、常守朱という役を通じて注目するようになった。彼女の役の中では今でも朱が一番好き。

新編集版8〜9話が1話のリピートだという構造は、ストーリーが振り出しに一旦戻ったというところか。狡噛と槙島が互いの存在を認めて決戦を繰り広げ、その後朱は槙島との決着を図る狡噛を止めるため再びパラライザーで眠らせる。1話と異なり中枢神経ではなく足を撃った点に朱の成長が窺える。法で裁けない輩を討つため自らも法の埒外に立つ、という展開は少年漫画のようで熱い。エンディングの「All alone with you」のサビの手前で狡噛が朱に宛てた別れの手紙のシーンを描写し、終わってからサビを流す演出が二人が完全に袂を分かったことを示していて哀愁漂う。歌詞の「道なき道」はシビュラシステムなき後の世界のことだろう。

完全なる公平公正を謳い文句としていたシステムが思いの外恣意的であること、善良だと思っていた一般市民がきっかけさえあれば暴徒化することが判明した以上、公安の仕事も今まで通りとはいかなくなる。デカの仕事は立場が複雑だ。特に宜野座監視官の板挟みになる中間管理職ぶりがどこか物悲しい。自分が何者か思い悩む必要がなく、将来の自分の職業まで社会が割り振ってくれるというと、ユートピアのように聞こえる。ところがそうは問屋が卸さない。それは自身の生殺与奪の権限の一切を社会に委ねることに他ならないから。

気まぐれな白い天使

初見の頃から本作を視聴する最大のモチベータのなっていたのがもう一人の主人公とも言える槙島聖護。余人を以って替えがたい頭脳やカリスマ性や純真無垢さをもって(ディストピア)社会に牙を剥く孤高の天才という意味で、槙島聖護と『ハーモニー』の御冷ミァハは同じ次元の住人だと認識している。いや、発表時期を考えるとミァハの方が先達かもしれない。新編集版ではチェ・グソンが伊藤計劃ステマ(死語)をしてるもんね!

槙島のマブダチのチェ・グソンが殺人計画を殺人志望者に提供する自分たちを悪童におもちゃを与える玩具屋に例えられていたが、槙島自身も王陵璃華子という今までのおもちゃに飽きたらあっさり捨てて、狡噛慎也という新しいおもちゃに無我夢中で飛び付く子供じみた一面がある。『シャーロック・ホームズ』シリーズのモリアーティや高遠遙一の行動原理を人間そのものへの好奇心に転化すると槙島になる印象。スタッフロールのキャストの順序からもわかる通り、本作は第一に狡噛慎也槙島聖護という相似する魂を持った二人の男の物語であることを痛感する。

新編集版6話の泉宮寺の狐狩り(観客一人)、場所も場所で劇場めいていたし、第九(歓喜の歌)が狩る側の活き活きした高揚感を盛り立てていて本当に演劇を鑑賞しているかのようだった。泉宮寺本人が言う通り、適度のストレス(人生の張り合い)は人の活力源だ。この回で槙島も狡噛というお眼鏡に適うライバルとの邂逅を果たしたようで、意気軒昂の感がある。鬼ごっこはこれからと言ったところか。シビュラシステムに認知されない、存在そのものがバグのようなものだから事実上の透明人間のようであると言える。

システムで捕捉できない透明人間のような存在であったために、罪を罪として認識されなかったが、そのことを特権ではなく疏外として捉えたのが槙島の行動原理の原点。システムに飼い慣らされた家畜が構成する退屈な社会に飽きていたがゆえに、人が自分の意志で行動する「魂の輝き」を渇望した。狡噛はそんな槙島に明確な殺意を抱いていたがゆえに公安局を脱走して決着を果たしたが、朱もシビュラとの交渉を経て超法規的措置によって槙島を生け捕りを図った。従来の法で対処できない怪物に対峙するときは自らも怪物になる覚悟が必要なのか。

「尊くあるべきはずの法を何よりも貶めることは何だかわかってる?それはね、守るに値しない法律を作り運用することよ」
新編集版10話より

という台詞は、法治主義よりも法の支配の原理を重んじているのが窺えるのがよい。

*1:本作2部3章の世界を統べる始皇帝は、自らを機械化することで不老不死の肉体と世界を綻びなく統治・運用できるだけの演算能力を獲得し、2019年に至るまで永世秦帝国を築き上げているという途方もない設定の持ち主。人呼んで一人シビュラシステム