疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

Automatic

早いもので、現在の職場で仕事を始めて3週間になる。職場の雰囲気、人間関係も至って良好で、その点非常に恵まれていると思う。中でも私にとって特にありがたいと思っているのが、業務のマニュアライズオートメーションが徹底している点だ。今の職場は、システム、コミュニケーションの両面で本当に良いと思っている。

マニュアライズは文字通り、作業手順のマニュアル化のこと。手順の他、業務目的や緊急時の連絡先、注意点に至るまでがマニュアライズされ、膨大な量のドキュメントが存在する。

オートメーションは自動化。本来手動で行う作業をプログラミング等を通じて自動化することで、正確かつ迅速な作業を可能にする。

なぜ私にとってマニュアライズとオートメーションがありがたいのか。それは「作業といってもそもそも何をすればいいかわからない」「複雑なトラブル、インシデントが起こったらどうしよう」といった、業務上の疑問や不安の最小限化が継続的に行われているからだ。単に作業者の疑問や不安を取り除くだけでなく、日々の作業を通じて、マニュアルもよりよいものを目指してアップデートを繰り返す。そうして作業の時間は短縮され、労力*1も省力化される。作業は時間が短縮され、労力が省力化されるほど、ヒューマンエラーが発生する可能性も低減する。それでもヒューマンエラーは起こりうるが、ここに好循環が生まれる。

ここまで話したのは、作業をする上での良い職場システムの話題である。次に悪いシステムの話をしよう。

それは端的に言えば、作業者が「賢人」かつ「超人」であることを前提としたシステムである。ここで言う「賢人」とはヒューマンエラーを起こさない人、「超人」とは長時間不眠不休で作業できる人のことである。そもそも作業は所要時間や労力の量に応じてヒューマンエラーの発生する可能性が増す。もちろん不正ともヒューマンエラーとも無縁で、長時間不眠不休でもOKな作業者など存在し得ない。彼らの存在を前提としたシステムは機能不全を免れないのだ。

ヒューマンエラーの発生は、それがなければ生じない新しい作業と、リカバリに必要な時間と労力といったリソースの浪費を招く。賢人、超人を前提とした職場だから、わが国では過労死するほど仕事があり、自殺するほど仕事がない」という労働環境を揶揄するフレーズが受け入れられるのだろう。彼らの粉骨砕身を当然視し、彼らが抜けたことで「この人なしでは職場が回らない」と嘆く英雄依存から脱却する必要がある。そして、その脱却の鍵として、マニュアライズとオートメーションがもう少し注目されてもいいのではないかと、と思っている。マニュアライズとオートメーションは、正確な手順を示すことで、作業時間を短縮させ、労力を低減させる手段だ。そうして、賢人、超人の領域には及ばずとも、手順を踏めば誰もが一定水準の作業をし得るレベルへと到達させるのである。

こうして作業の作業時間の短縮化と労力の最小限化によるヒューマンエラーの排除、その手段としてのマニュアライズとオートメーションについて語った。もちろんこれに当てはまらない業務もあるだろうが、私の足を踏み入れたばかりの業界が「ブラック企業」なる流行語の由来になってしまったことを踏まえ、これから自分にできる自衛の手段を考えていきたい。

*1:単に体力を消耗する、という意味だけでなく、作業内容が複雑である、工数が多いゆえに割くリソースも多い、といった意味も含む