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勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚

勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 (集英社新書)

勘定奉行荻原重秀の生涯―新井白石が嫉妬した天才経済官僚 (集英社新書)


日本史の教科書では、元禄期(綱吉の時代後半)に貨幣改鋳を行ってインフレを招いたとして否定的に書かれていることの多い勘定奉行・荻原重秀。本書はそんな荻原が200年前にケインズの学説を実践し、幕府の財政危機を救った人物であるとして再評価するものである。

荻原重秀の具体的な実績
・延宝の検地(80年ぶりの検地。農業技術の発達に伴う石盛の再検討)
・代官の綱紀粛正
・産出が落ち込んでいた佐渡金山の再生
・貨幣改鋳(元禄金銀)
意義1:幕府(政府)の金銀が商人(市中)に出回るようになり、緩やかなインフレ(年3%弱)のもと経済成長を遂げた
意義2:富裕層の貯蓄の価値を減らすことによる富の分配。実質的な富裕層、商業への課税
・長崎貿易改革(長崎会所の設置による直轄化、銅輸出による金銀流出や生糸価格高騰の阻止)
東大寺大仏殿の再建(財源は大名および天領への賦課)
・火山災害賦課金の創設(同上)

貨幣改鋳に関して言うと、米価はむしろ改鋳前のほうが高かった。元禄期の財政赤字も、元禄地震、宝永地震、宝永の富士山噴火といった相次ぐ天災が起こったことによるものであった。出目(通貨発行の差益)で事実上の資産への課税を行った点は、今話題のトマ・ピケティに通じるものがあった。難点は荻原が著作を残さなかった点、また彼が純粋な実務派で、保身や駆け引きに無頓着であった(ように見える)点か。

荻原に汚点があるとしたら、6代将軍・家宣の時に行った非公式の銀改鋳ぐらいだが、だからといってそれまでの彼の実績は否定されるべきではない。彼の悪評は家宣、7代将軍・家継の時代に幕政を担った新井白石によるものと言って過言ではありません。彼の日記である『折たく柴の記』で「26万両の賄賂を受けていた」*1、「天地開闢以来、荻原ほどの悪人はいない」、「荻原の部下を罰するぐらいなら、奴の墓を暴いて晒すのが先だ。最も、荻原ほどの悪人は死体をズタズタに切り裂いても足りない」と書き残す。松平定信田沼意次をここまで貶めなかっただろう。

さらにこの人、6代将軍の家宣が荻原を引き続き勘定奉行にしたことが気に入らなかったらしく、幕僚に何度も荻原の悪評を言って罷免に追い込んだ。自分の正しさを信じて疑わない人間というのはげに恐ろしい。記録は残した者勝ちなんだろうな。後世までその人の言い分が伝わるし。

*1:これは根拠なし