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L'aube de l'horizon

ごきげんよう

神無月の巫女

神無月の巫女DVD-BOX

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序破急

神無月の巫女」は日本的な物語である。というのも、日本神話や巫女といった古来の日本の伝統的な要素から、今や伝統になりつつある巨大ロボット、根っからの悪人ではなく絶望して闇堕ちした悪役たち、と日本のアニメ界では伝統になりつつある要素をモチーフにしつつ、『万葉集』の頃から多くの和歌に詠われてきたような「愛」が物語の核心に据えられているためである。

ストーリーを見てみると3つのフェイズに分けられる。「序」「破」「急」の三つ。近年は「新劇場版新世紀ヱヴァンゲリヲン」でも用いられた「序破急」とは能の大家であった世阿弥の「風姿花伝」の日本の舞楽能楽の展開に関する用語である。4段階なら「起承転結」、5段階なら「起承鋪叙結」になるところの3段階バージョンだ。

主役の来栖川姫子姫宮千歌音を中心とする登場人物の人間関係の掘り下げや、大神ソウマを中心としてオロチとの戦いを描くことで物語の裾野を広げていく「序」(1話~6話)に、その流れを汲んでやってくるターニングポイントである「破」(7~8話)、そしてその後怒濤の如き展開(9話~12話)*1を迎える。1~6話の展開は比較的ゆったりしているが、7話で物語の核心に近づき、8話で大きな転換点を迎える。その後は文字通りの急展開。その中の最終12話の姫子と千歌音のやり取りについては後で詳しく触れる。というかこれにほとんど筆と時間を割いている気がするが。

本作の描く愛、それは「百合」と言ってしまえばその通りではあるが、それでは物足りなさが残る。そう思って物語を鑑賞していたところ、心に留まったシーンがある。それは8話において千歌音が

人もなき国もあらぬか吾妹子と携ひ行きて副ひて居らむ

と古文の授業中に和歌を朗読するもの。この和歌には出典がある。歌の主は『万葉集』の編纂にも携わったとされる歌人大伴家持である。大意は「どこかに誰もいない国はないのだろうか。そこで二人で寄り添って暮らしたい」というもの。家持を輩出した大伴氏は奈良時代に隆盛を誇った名門だが、そのような家柄の生まれの家持でさえ、いや、そのような家柄の生まれだからこそ、愛する人と二人で寄り添うには世捨て人同然の行動をとらなければならなかった。それは名家の令嬢であるという家の事情だけでなく、輪廻を越えて姫子を愛し求めてやまない彼女の境遇と符号するところがある。

巫女の運命

本作の英題は"Destiny of Shrine Maiden"(巫女の運命)である。神無月=10月=Octoberという単語を使うことなく巫女の運命とは何か。それは世界に仇なすオロチが生み出した邪神八岐大蛇を封じ込める剣神天叢雲剣の復活の儀のために、巫女の命を巫女の手で絶つこと、巫女の存在そのものを供物とすることだった。そしてその運命に対して二人(主に姫子だが)が答えを提示するまでが本作「神無月の巫女」の物語だと思う。

「でも私の好きは、姫子の好きとは違うの。姫子は私の一番で、本当のお姫様で、私を優しく照らしてくれるお日様。月は太陽があるから輝くことができるの。誰よりも美しく輝きたいと、そう思えるの。ただ、貴女に見て欲しかったの。こんなこと、言ってはいけないのに。私独りの胸の中にだけしまっておこうって、決めてたことなのに。ごめんなさいね、姫子」12話より

残酷すぎる運命に対して、この台詞の通り千歌音は自らの思いを秘め続けた。最終話で姫子に命を絶たれる今際でさえ自分の気持ちを偽り続けねばならないほどに。だが、その前の「千歌音ちゃん、私のこと好きって、愛してるって言ってくれたよね?それも嘘なの?全部お芝居なの?」という姫子の問いに前に遂に折れてそう答えた。姫子が自分と違って裏表のない純真で真っ直ぐな性格の持ち主だったため。

思えば千歌音は姫子がそんな性格だったため、かえって重荷を負い続けてきた。それは姫子とソウマの関係を外から眺める千歌音を見ていればわかる。オロチの一員でありながらオロチに反逆してロボット武夜御鳴神で姫子の窮地を救うソウマ。デートで距離を縮めていく姫子とソウマ。この間に千歌音ができたことは二人の様子を見るだけ。姫子が意図的でなく無邪気に振る舞っていたからこそ嫉妬や劣等感が募っていった。だからオロチに寝返ったとき、千歌音は武夜御鳴神をソウマから奪って「貴方って何なのかしら」とソウマに意趣返しをする。

「千歌音ちゃん、私、やっとわかった。千歌音ちゃんは天使でも悪魔でもなかった。大好きな人とすれ違っただけで、言葉を交わしただけで、胸のドキドキが収まらないくらい嬉しくて。でも嫌われたらって思っただけで、夜も眠れないほど不安になって。私と同じ、16歳の女の子だったんだね。なのに私、そんなこと全然考えなかった。千歌音ちゃんが強いから、優しいから。ただ受け止めてもらって、甘えて、自分のことばかり。辛くて、悲しくて、でもいっぱい我慢して。大事なものも、大好きなものも全部捨てて。千歌音ちゃんが一番苦しんでたのに。私、千歌音ちゃんのことをずっと独りぼっちにしてたんだね、ごめんね。もう私のために我慢なんかしないで。辛いこと、苦しいこと、どんなことでも私に分けて。千歌音ちゃんと一緒なら、何があったって平気。頑張れるから。お日様は、お月様があるから輝くんだよ。笑顔になれる。元気になれる。お月様が輝き方を教えてくれるから、もっともっと輝きたいって頑張れるの。お月様のために、私、ずっとずっと月を照らし続ける。千歌音ちゃんの姫子になりたい」12話より

愛してる、と言われて、「私もだよ」などと返さず、今まで独りぼっちにしてごめんね、と返すのが何とも姫子らしい。先に引用した姫子の台詞と併せて、ここに、千歌音が胸に秘めていた思いを姫子がようやく受け取れるまでに精神的に成長を遂げていたことがわかる。姫子は毎回の次回予告で「千歌音ちゃん、私、どうすればいいのかな」と語り、自分の為すべきがわからない迷いを語っていた。最終話の次回予告でついに「千歌音ちゃん、私の本当、受け取って」と自分が何を為すべきなのかを悟る。その答えに至るまでには、最終話までの11話の間の千歌音やソウマだけでなく、親友のマコトやメイドの乙羽、大神神社のカズキといった人々との交流や試練の克服の積み重ねがあった。

また、台詞からは姫子独特のセンスが滲み出ている。前出の千歌音が姫子との関係を太陽と月に準えた詩的な台詞に対する返歌になっているが、考えてみれば「お月様が輝き方を教えてくれるから、もっともっと輝きたいって頑張れるの~」のあたりは天文学的に考えてみればあり得ないのは一目瞭然。それを敢えてポエムにするのは、姫子が自分たちの関係は、月は太陽に照らされて初めて光る云々とか、女の子同士だから云々とかいう世の法則や通念、そして運命を超越したものであることを確信しているからであろう。本来太陽は月の存在は関係なく自ら光を放つ恒星だが、自分という太陽は千歌音という月がいて初めて輝ける。だから、ここで姫子が言うのは「私の千歌音ちゃんになってほしい」ではなく「千歌音ちゃんの姫子になりたい」なのだ。このあたりが実に彼女らしい。

世の通念と言えば、姫子は「誰の前だって言える、恥ずかしくなんかないよ。本当だよ。愛してるよ、千歌音ちゃん」と言っているが、先の誰もいない国で二人で寄り添いたいという大伴家持の和歌と対になっている。家持は思い人と二人で俗世を離れたいという思いを吐露したが、姫子と千歌音にとってはその必要はない。だから姫子の「私の本当」を知った千歌音は、万感が込み上げてきて幼子のように泣きじゃくることしかできなかった。

互いに必ず見つけ出すことを誓って離れ離れになった二人は、またいつか再会する。それがいつ、どこで成し遂げられるかはわからないが、何があっても二人の再会と、その前途が明るいことを確信できるのは、制作者が来栖川姫子姫宮千歌音、二人のドラマを何にも増して真摯に描いてくれたからに他ならない。

*1:この「序破急」は自分なりの分類だが…