20181118,19_京阪奈の旅_奈良篇
遂にやってきました奈良市。割と淡々と写真と簡単な文章をアップしていきます。
興福寺
山科寺と呼ばれていた頃から藤原鎌足以来、藤原氏との繋がりが深い、奈良を代表する寺院。奈良公園の中にある。
興福寺の東金堂を拝観した。2メートルを超す薬師如来坐像の脇を固めるように文殊菩薩、維摩居士、日光菩薩、月光菩薩、四天王、十二神将の像が安置されていた。その荘厳な雰囲気に身の引き締まる思いがした。やはり奈良の仏像は違う。
披露宴の後の翌日の話になるけど、国宝館も拝観。阿修羅像が一番有名だろうけど、5mにもなる千手観音像が圧巻だった。元々山田寺のものだった仏頭は思ったより大きかった。
余談になるがその後11月20日に東金堂と国宝館の仏像に油のようなものが撒かれる事件が起こった。犯人はまだ捕まっていないようだが、断じて赦しがたい愚行である。仏罰が下るであろう。
春日大社
同じく奈良公園の中にある、藤原氏の氏神である武甕槌命を祀る神社。奈良公園周辺に鹿が多いのは、祭神武甕槌命が常陸国の鹿島神宮の神鹿に乗って春日大社に降臨したことに因む。一の鳥居から本殿の場所までは徒歩で15分ほど。大社の名に恥じない規模を思い知る。本殿側の暗室の中で煌々と灯る常夜燈がなかなか幻想的な光景だった。
この日の夕食は奈良の郷土料理である飛鳥鍋。鶏肉や野菜を牛乳ベースの汁で煮込んだ鍋料理で、なかなか美味だった。それにしてももやしが多い!その後は近鉄奈良駅近くのホテルに宿泊。
奈良ホテル
この旅の本来の目的である大学の後輩の結婚式の式場。明治時代に創業した奈良を代表するクラシックホテル。こういったやむごとなき方々がお泊りになるくらいには格式の高いところです。
挙式の直後と披露宴中の様子。挙式の指輪交換という一番のハイライトのタイミングで大地の祝福を受ける(という名の地震)とか、後輩氏は何か持ってる。披露宴では大学時代の友人らや後輩氏の勤める会社の上司と、後輩氏に関する話題で話が弾んだ。
法隆寺
この日はまず奈良駅からJR関西本線で15分ほど離れた斑鳩町の法隆寺を訪問。聖徳太子ゆかりの世界最古の木造建築がある寺院だが、南大門に到着するまで最寄りの法隆寺駅から1km以上離れている。遠い。
南大門からして法隆寺の規模がわかるというもの。拝観料も1500円と他の寺院と比べて割高だが、それに見合う価値があるのがここ法隆寺。
金堂、五重塔に講堂、夢殿、併設のミュージアム寺内のあらゆる木造建築物を見学したが、講堂の薬師如来像やミュージアム内の百済観音が見事だった。境内が広く、一通り見て回るのに1時間はかかった。写真は金堂、五重塔。
大和郡山城
近鉄郡山駅のほど近くにある、戦国大名筒井順慶が築城し、豊臣秀長の居城となった城。残念ながら日本百名城の中には入らないらしい。江戸時代には度々藩主の家系が交替した。
石垣の保存状態はなかなかよかった。
天守閣は残っていなかったものの、門や櫓は残っていた。城跡らしい雰囲気を感じた。
城内には徳川綱吉の側用人を務めた柳沢吉保を祭神とする柳澤神社の他、柳沢氏ゆかりの文物を保存・展示する柳澤文庫、旧奈良県立図書館の城址会館があった。これは吉保の子吉里が大和郡山藩に転封されたことに因む。
薬師寺
天武天皇以来の歴史がある寺院。明治時代にお雇い外国人のフェノロサが「凍れる音楽」と評した東塔の水煙が有名。この日は晋山式という管主の代替わりのセレモニーと龍谷大学の校友会があって無料で拝観できた。有名な東塔は解体修理中だったが、本尊の薬師如来像に御目通りは叶った。
唐招提寺
井上靖の小説『天平の甍』で有名になった唐の高僧鑑真を開山とする律宗の総本山。東大寺をはじめ奈良の多くの古寺が皇族や役人が建立した官寺なのに対し、この唐招提寺は珍しく私寺だった。教科書でもおなじみの国宝の鑑真坐像は年に数日のみの公開で、普段はその複製の像のみ拝観できる。金堂に安置された本尊の盧遮那仏は坐像ながら3m以上あって迫力があった。
東大寺
ついに?最後のダンジョンとなる東大寺。全国の国分寺の元締めたる総国分寺。南大門の規模からして奈良の他の寺院ですら圧倒している感覚を受ける。
ラスボス、じゃなくて奈良の大仏こと3代目毘盧遮那大仏です。お納めください。3代目になった理由は平重衡さんと松永久秀さんにお聞きください。
後に唐招提寺を開く鑑真が聖武上皇や光明皇太后に授戒したという東大寺戒壇院。四天王像を安置する寺院は多いが、ここの四天王像は国宝である。中央の戒壇は寺院のミニチュアという感じで精巧さと小さいながらも荘厳さがあった。
戒壇院の後には東大寺ミュージアムに寄る。正倉院はタイミングが悪く、展示どころか建物に近づくことも叶わなかったのが多少の心残り。