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L'aube de l'horizon

ごきげんよう

中原の虹

小説 歴史 レビュー

これを2度目に読んだのも、2ヶ月前の話なのです。

新たな時代の幕開け

私は前作『蒼穹の昴』よりも今回取り上げる『中原の虹』の方が好きである。というのも、こちらの方が清末〜民国初期という歴史の転換期を扱っているためか、ダイナミックかつドラマティックな雰囲気があるから。無論、壮大さだけでなく緻密さも備えている点も見逃せない。

本作の主軸の一つは張作霖(通称:白虎張)が馬賊の総攬把(頭目)として、奉天(現在の瀋陽)に一大勢力を築き、東北王として万里の長城を越える過程である。張は前作の主人公の一人であった春雲の兄に当たる李春雷、古くからの配下である馬占山、薬屋上がりで参謀格の王永江などの人材を率い、清国から将官の位を賜るなどしてその地盤を固める。

正直、彼については民国期の軍閥のリーダーの一人で、張作霖爆殺事件で殺されたことしか良く知らなかった。だが、本作で彼は、文盲でありながらも類稀なカリスマ性、小柄で女のような美貌、敵味方問わず容赦のない苛烈な性格、そして親馬鹿な一面*1も持ち合わせる不思議な魅力の持ち主として描かれているのが印象に残っている。度々口にする「鬼でも魔物でもねえ。俺様は張作霖だ」という台詞には痺れる。

そんな張の軌跡にオーバーラップさせて描かれるのが、満洲族による清の建国と中国大陸の征服の物語。その中で中心的に描かれるのが清の太祖・ヌルハチの次男に当たる礼親王・代善(ダイシャン)。父の死後は弟・ヘカン*2、その死後は大甥のフーリン(世祖順治帝)を補佐した肇国の英雄である。

だが、その一方でヘカン、共同で順治帝を補佐した弟のドルゴン、順治帝の兄にあたるホーゲを、国を勢力を広げ、維持するのを阻害するとして死に追いやるなど冷徹な一面を覗かせている。西太后が国を畳むために悪役になったのに対し、代善は国を興すために悪役になったと解釈すればいいだろうか。一国の興亡という一大事業には犠牲が付き物、と思わざるを得ない。「世を統ぶる者は、けっしてひとりの人間を愛してはならぬ。民を慈しむ者は、人を愛してはならぬ」という李鴻章の遺言もあるが、どこか釈然としない部分もあり、やりきれない。

前回のレビューで龍玉は『「どうしようもないことなどない」ことを逆説的に示すための小道具に過ぎない」と言った。それは龍玉を手に入れた張と息子の漢卿が史実でどのような人生を歩んだかを思い起こしてみれば判然とする。張作霖爆殺事件については続編に当たる『マンチュリアン・リポート』で触れているが、未読なのでここでは言及しない。結局、龍玉とは何だったのか…。

主人公格の一人である張作霖については触れたので、ここは李春雷、光緒帝、袁世凱、宋教仁の4人について語る。前の二人が前回のレビューで予告した人じゃなかったって?高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処した結果、変更させていただきました。

・李春雷

「あばよ、大鼻子。満洲は俺たちの土地だ」 1巻130頁

李春雲の生き別れの兄であり、張作霖の右腕。ブローニング銃の腕前は並ぶ者がなく、味方の馬賊からは「雷哥」と呼ばれ畏怖を受ける男。やはり敵には容赦のない性格。

物語の終盤では弟の春雲と実に30年ぶり近くの再会を果たす。兄弟としての会話はごく僅かだったが、春雲が会見の最後に言った「多謝、多謝、太謝謝你了!」という言葉に万感の思いが凝縮されていた。この作品には、このような爽やかな兄弟愛が似つかわしい。

・光緒帝

「おしまいにしたい。すべてを、おわらせたい。」 2巻348頁

前作からの登場人物。西太后の甥で戊戌政変の失敗により失脚し、幽閉されていた11代皇帝。本作では亡国の皇帝という自らの立場を自覚し、清国の幕を引く西太后に協力的に振舞う。

史実において、光緒帝は西太后が亡くなる前日に崩御していることから、本作では自ら毒を呷って彼女にお供したという解釈がなされている。全体として、彼は作中でも屈指の不幸な人物という印象を受けるが、自分の置かれた状況をよく理解し、覚悟を持っていた。だから彼を哀れむのは礼を失した行為なのかもしれない。

袁世凱

「みなの者、たいぎである。朕はただいま、天命を得て中華帝国皇帝の玉座に就いた。百官百僚よく朕が意を体し、国務に精励せよ」 4巻373頁

科挙に挫折して軍人に転進して以来、李鴻章の下でその後継者としての地位を得た男。戊戌政変では当初光緒帝に付いていたが、その計画を西太后に密告するなど抜け目のない野心家として知られる。民国成立後、中華帝国皇帝を僭称したとされるが、本作ではこの所業は彼が道化として、西太后とはまた別の方法で中国を守ったものと描写する。

興味深いのは友人の徐世昌との関係とその最期。徐は李鴻章を継いで北洋軍閥の長となり、その後も身の丈に合わない大仕事を任された袁を公私に亘って支え続ける。ここで袁が苦悩しながら、自分の道を選び、歩んでいくという姿には心打たれるものがあった。また、部不相応な野心に倒れた男というイメージがあったので、彼の死に様は何だか可哀想だった。戊戌政変の時の背信行為の報いかもしれない、ということを差し引いたとしても。

・宋教仁

「だから私は、時期尚早であろうと、これまでの歴史がどうであろうと、あくまで民主共和の政体をめざす。この国の主権者は諸君である。この国の統治者は諸君である。私は未完成の選挙によって選ばれた、ひとりの船頭にすぎない。」 4巻211-212頁

清末〜民国初期の若き革命家。日本に留学し、帰国後は北一輝などの支援を得て、大総統制(民主政体での独裁制)を志す孫文立憲君主制を目指す袁世凱に対抗して、民主共和制を目指し、民国成立後は要職に就く。本作では早稲田大学に教授として招聘された文秀の弟子として描かれる。

4年前に初めて読んだときは、宋教仁が実在の人物ということすら知らなかったが、その時から彼の颯爽とした登場に印象に残ったことを憶えている。そして、一度面会して肝胆相照らす仲となった張作霖が彼について振り返って「急ぎすぎている」、「死ぬなよ」などと発言するなど、不穏な空気が漂っていたことも印象深い。まさに死亡フラグ

その不吉な予感は的中し、彼は凶弾に斃れる。この時前作から登場したジャーナリストのトーマス・バートンも宋を庇って死亡する。史実では袁世凱の息がかかった者が暗殺したとされるが…。

徐世昌が宋の死後に「わが身の不幸を嘆くばかりだった国民に、没法子と言わせぬ勇気を与えた」、「不屈の正義をこの国に咲かせた中華の花」と評したとおり、宋は『蒼穹の昴』以来の作品のテーマの集大成として相応しい人物として位置付けられている。


ここに挙げた人物以外にも、日本に亡命した前作の主人公・梁文秀、玲玲夫妻、清末の東三州総督で張作霖奉天を明け渡した後、『清史稿』編纂の主幹を務めた趙爾巽などの人物が印象に残った。前作では毛沢東少年が終盤に少し登場したが、今回は日本留学時代の蒋介石がちょい役として登場していた。

*1:息子の漢卿(本名は張学良)のために家庭教師を何人も雇ったり、自らが手にした龍玉を託したり。「学」の名も、自分が文字もろくに読めない無学者のようになってほしくないためだとか。因みに、家庭教師の件については史実らしい。

*2:太宗。ホンタイジとも。というか、ホンタイジ(皇太極)という名の方が有名。本作では徐世昌の口から「皇太極」→「皇太子」に通じるとしてその名前についての疑義が提示される。