行雲流水

ごきげんよう

機動新世紀ガンダムX

ガンダムSEEDシリーズに続いてまともに見たガンダムとなったのはXでした。

月は出ているか?

本作を見終えてまず心に浮かんだ句がある。

曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く

というものがそれだ。これは安土桃山~江戸時代初期という先の見えない動乱の時代を生きた伊達政宗の辞世の句であり、闇の中を月明りを頼りに進むように、先の見えない動乱の時代(浮世=憂き世)を自分の信念を道標として進んできた人生であった、ということを政宗が自らの生涯を振り返ったものと解釈できる。なぜこの句を思い浮かべたのか、その理由は単純至極。私には「ガンダムX」が提示したテーマが、政宗が回顧した自らの生き方と重なったように見えたのだ。

本作の世界観は第七次宇宙戦争により地球が荒廃しきって、総人口を戦前の1%を数えるという惨状を呈してから15年後というもの。さらに、戦後数年間は砂塵により陽の光すら地上に届かなかった、というから筆舌に尽くしがたい。

そんな中、主人公のガロード・ランはひょんなことからフリーデンの一行と行動を共にすることになる。主にヒロインのティファを助けたい一心で彼女の力を悪用しようとする者や襲撃者と戦い続ける。ニュータイプとして未来予知能力を持つティファが「私の夢は現実です」と語る予測を次々と覆し、一連のストーリーは「少年の純情は不屈だった」と2話の次回予告で語られる少年の面目躍如たるものである。様々な試練や出会いが待ち受けるものの、ガロードが歯車として駆動することで状況が好転し、フリーデンクルーの人間関係も円満になっていく。

ガロードの搭乗するガンダムX、のちにガンダムDX(ダブルエックス)が有する切り札となる兵器がサテライトキャノンというもの。月面の管制システムから発信されたマイクロウェーブをエネルギー源とする必殺のビームを射出する。雲など月を遮るものがない条件下で使用できるもので、「月は出ているか?」という1話のサブタイトルがそれを物語る。サテライトキャノンの光は闇夜を照らす月光と同じように、見通しの立たない混迷の時代を照らす光にも見えた。また、ガンダムXの"X"が方程式において未知数を示すのも、なかなか符合的で心憎いネーミングだと思えてくる。

月はいつもそこにある

サテライトキャノンの破壊力の源はマイクロウェーブだが、暗闇=混迷の時代を照らす光という文脈においての光の源とは何ぞや?その答えは最終盤に明かされる。月面のサテライトキャノンの管制システムであるD.O.M.E.(システムへと意識を分解された原初のニュータイプ能力者)は、ガロードのティファの予測を覆し続けた道程を振り返り、

「その心の強さが君に未来を変える力を与えたんだ。そして、それは戦争を知らない世代に共通した希望の光だ。古い時代に左右されず、新しい時代を生きる力がある」39話より

と語る。ニュータイプとは幻想である、と一蹴した流れを受けたものでもある。タロットの大アルカナ「月」の正位置の含意の通り、不安や迷妄に囚われた戦後の人々は、偶発的に生まれた特殊能力者に対して「ニュータイプ」というラベルを貼り、童話の青い鳥よろしく追いかけてきた。人類の覇権およびニュータイプを巡って滑稽ないがみ合いを続ける新連邦と宇宙革命軍の指導者の姿は、どこか戯画的ですらあった。

ここでD.O.M.E.が語ったのは、希望の光、闇を照らす光とは特殊能力の有無ではなく、未来を切り開く生き方・姿勢にあることを示すために他ならない。生き方さえ前向きであれば、政宗が語る「心の月」はきっと誰にでもある。ここに「ニュータイプ」というない物ねだりをする時代の弔鐘は鳴り響いた。

陽の光が届かなかった時代を超え、荒れ果てた大地に再び太陽が顔をのぞかせたように、また、月がいつもそこにあるように、光そのものは消えてなくならない。「月」に続くアルカナは「太陽」であり、正位置は希望や生命力、進歩を意味するもので、ガロードの生き方に相応しく思える。月並みな言い回しだが、明けない夜はないのだ。この観点から見渡せば、道標を失った戦後の人々が闇夜を越えて朝を迎えるまでを克明に描写したのが「ガンダムX」と言えるのではないだろうか。

書き切れなかった余談

ニュータイプなる概念に囚われる人々を痛烈にカリカチュアライズして風刺しているにもかかわらず、作風は前向きで実直な作品だったという印象。あとフリーデン内の円満な人間関係や、メインキャラを死なせなかったという方針が個人的に好感度が大きい。艦長のジャミルや艦医のテクスといった人々をはじめ、年長者勢がガロードたちに対して説教がましくなく、かと言って度の過ぎた放任にも陥らないバランスが絶妙だった。あと、ガロードとティファほど恵まれた主人公カップルって、ガンダムシリーズには存在しないんじゃないの?