疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

わが闘争

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)



ご存知ヒトラーの政治哲学。『銀河英雄伝説』を読み、民主主義が孕む危険についてもう少し深く学びたいと思い、読むことにした。

本書はまとまりがなく、勢いで捲し立てる感じの文章で、極めて読みづらい。頻繁に聖書や歴史的事件を引き合いに出しているあたり、相当勉強したことはわかるが、もっと推敲してほしかった。

上巻は著者・ヒトラーの若い頃の生い立ちから、ナチ党こと「国家社会主義ドイツ労働者党」の結成までを書く。母国・オーストリアにおける非効率的な議会政治や、ドイツに移り住んだ後で、同国の与党・社会民主党の非力さと混乱ぶりを目の当たりにしたことが、彼の政治観を形成した。特に議会政治を数人で決めればいいことを、わざわざ500人の議員を集めて話し合う「議会主義的おしゃべり同盟」と呼び、痛烈に批判したのは印象深い。
 
他に注目したのは、ヒトラーユダヤ人を憎悪するに至った経緯。彼が14-15歳、ウィーンに住んでいた頃は、反ユダヤ的な新聞を批判する側だったのに、なぜ転向したのか。それはウィーンのユダヤ人が新聞、芸術、文学、演劇といった幅広い分野に進出し、見せ掛けだけでシオン主義者と自由主義者に分かれ、闘争を繰り広げていたことだった。その頃社会民主党にもユダヤ人は根付いており、彼らがドイツを堕落させるとして、彼は偏執的な危機感を募らせていく。このあたり、非常に主観的なためか、共感できる部分は少なかった。そもそも憎悪に論理的理由など見出せないか。

下巻は上巻以上に暴走している。物凄い勢いでナチ党の目指す世界観、プロパガンダを前面に押し出す。ヒトラーが繰り返し強調するのは、国家に奉仕し、繁栄に導くことが高貴なるドイツ国民の義務で、そのためにユダヤ人を駆逐すべきこと。その国家体制は一人の人間が全ての政治的権力と責任を所持する独裁制であり、民族主義、反資本主義(=計画経済)を標榜する。この体制下だと、確かに国家を堕落させるとされたユダヤ人はともかく、労働や出産、子育てといった「健全で崇高な義務」を果たし得ない障害者や同性愛者が迫害されるだろうな、ということが明らかになった。

改めて恐怖と同時に驚愕を覚えるのは、ヒトラーがこうした体制を無理強いでなく、自発的に国民を従えることで作り上げたこと。それもきちんと段階を踏んで。

まずは優越感を持たせること。本書がドイツ人等アーリア人が文化創造種で、その他多くの民族が文化模倣種、ユダヤ人が文化破壊種と定義したのは有名。世に言うアーリア人至上主義。第一次世界大戦での敗戦、ヴェルサイユ条約後の喪失感と国内の政治的・経済的混乱に見舞われたドイツ人にとっては福音に聞こえたのだろう。

次に繁栄を約束すること。そのために上記のような国家の目指すビジョンを提示する。国民が国家に奉仕すべき、とただお上から繁栄を与えられるものではなかったが、国民は確かに奉仕した。ヒトラー政権は非民主的だったが、この点においてはワイマール憲法が制定された民主共和体制より余程優れていた。

結果論になるが、事実、ヒトラー政権の下でドイツは財政再建を成し遂げ、アウトバーン建設などの公共事業、医療、保険制度の拡充、有給休暇など労働者の福利厚生の充実化といった政策は成功を収めている。そして1936年にはベルリンオリンピックまで開催した*1

そして闘志を湧かせること。本書のタイトルにもなっている「闘争」とは生存競争と意味が近い。国家間の闘争もそれに含まれる。アジア、アフリカ方面など海外の植民地は英仏が多くを占めており、これからはヨーロッパ内地に領土拡大を求めるべきとする。1939年のポーランド侵攻はこうした理論に基づく方針と見ていいだろう。

こうして見ると、ヒトラーは只者ではないことがよくわかる。本書はドイツでは禁書扱いだが、ヒトラーの死後70年を経過する2015年を機に見直される可能性がある、というニュースがあり、実現してもらいたいと思った。

*1:開催のためには競技場の建設や交通網の整備といった都市計画も重要だが、無論これもヒトラーが主導した。武田知弘『ヒトラーの経済政策』祥伝社新書 に詳しい。