疾風勁草

子曰く、歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知る

皇国の守護者

今回はここ1年ほどで読んだシリーズものとしては白眉であるこの作品を取り上げていきたい。

ただ鉄量のみ


本作の劈頭たる1巻は、皇国軍兵站将校の新城直衛中尉(途中、大尉に昇進)が600人の大隊を率い、殿軍として数万の帝国軍の追撃を防ぐというのが概要。兵站や輜重の概念の相違、兵器の性能や特長、両国の政治・経済体制など、かなり緻密に描写しており、非常に読み応えがある。時代設定は実際の世界史で言うところの19世紀後半だろうか。本作の舞台は地球ですらないようだが。『銀河英雄伝説』よりはミクロ的、物質的(ハードウェア的)な視点で戦争を捉えているという印象を受けた。一方で銀英伝と異なり、両国とも君主制国家なので、民主制vs君主制のようなイデオロギー対立は重視していないように思った。

物質・ハードウェア重視の作風は隊列から陣形刻一刻と千変万化を遂げる戦争の様態を克明に記す一方、歩兵や銃兵のみならず輜重隊に至るまでの部隊編成や娼婦の同行といった部分まで詳細に語る細密さも印象深い。テレパスのように情報伝達のために用いる導術、戦車代わりとなる剣虎(サーベルタイガー)という知能の高い大型の虎や、爆撃機代わりとなる翼龍、人間と同格の知能を持ち、導術を操る天龍といった、本作の世界観を彩るファンタジー要素もなかなか興味深く理解することができた。この要素のおかげで実際の世界での20世紀的な戦争が本作で繰り広げられるようになっている。

後に新城が簡潔に語る通り、勝敗を決するのは

「僕は信じる。勝利をもたらすものは意志でも、血でもない。ただ、鉄量のみなのだ」
皇国の守護者4』265頁

ということなのだろう。

ストーリーとしては皇主を君主として仰ぎ、五将家と呼ばれる有力な門閥が国家の枢要を担う、大日本帝国をモデルとした≪皇国≫と、世界最大の国家であり、皇帝による専制政治が続く、ドイツ帝国ロシア帝国をモデルとした≪帝国≫との間の、天狼会戦や六芒郭攻防戦などを含む一連の戦争(1-6巻)および、新城も属する駒城家らと以前から不穏な動きを見せていた守原家らとの間の(護州乱)国難に際してもまとまりきれない皇国の内情が不穏である。新城の味方でありながら新城を嫉視・敵視する佐脇俊兼、新城を快く思わない守原家の中で新城に理解を示す草浪道鉦がそれぞれ存在する、といった複雑な構図も特徴的だった。

というわけで、血と鉄と硝煙の臭いがする小説は何か、と問われたら、私は真っ先に本作を挙げることだろう。物質面重視のソリッドさと、妥協を許さない戦場におけるドラマと世界観、ストーリー設定がたまらない。

新城直衛の人物描写

本作に引き込まれた要因としてこれを語らぬわけにはいかない。むしろこちらの方がメイン。

天狼会戦の激戦の末降伏し、<大協約>に基づいた待遇を受け、カミンスキィやユーリアといった帝国東方辺境領の面々と面会する新城。柔軟さと頑固さ、小心さと大胆さ、卑しさと誇り高さが同居する、彼ほど複雑で凄みのある人格の持ち主はそうそう存在しまい。後に新城はユーリアを捕虜とした後、自分の愛人として迎え入れるが、夜を共にした彼女に対して稚気を隠そうともしないあたりに、彼の複雑な一面が表れている。この性格で一人称が「僕」であることが、彼の「子供っぽさ」を物語っている。

また、新城は自分が気に入らない事物への侮蔑や苛立ちを隠そうともしない。撤退しようという自分の進言に耳を貸そうともせず、部下を捨て駒のように扱う上官の若菜大尉を独断で容赦なく殺すし、兵士の休養を軽視する参謀の鍬井には不快感を露骨に表現する。誰よりも自分の命を惜しみ、部下への自己犠牲的行為も憎悪一方で、いつものように激戦の最前線で戦うし、随所で戦争を待望し、戦場に立つことに暗い愉悦を抱いているかのような言動も度々散見される。このあたり、得も言われない魔性の魅力を隠しえない。自他共に認める「魔王」であるだけのことはある。

慈悲深さが彼の心の奥底にあるにせよ、それをわかりやすい形では表現しない。わかりやすい優しさが垣間見られるのは、義兄・駒城保胤と愛する義姉・蓮乃の間の子である麗子と接しているときや、自己犠牲的精神を発露させて部下をむざむざ死に追いやる軍規違反を犯した17歳の少年軍人である夏川中尉を処刑する作者による人物描写の妙技だと思う。一部界隈での噂によると、新城直衛は銀英伝ヤン・ウェンリーを意識して作られたキャラだそうだが、あくまでも自分の意思による行動を重んじるという点では、二人の間に通奏低音が流れているように思った。

特に激戦繰り広げられる六芒郭の戦火の中で丸枝に対してかけたこの言葉が印象深い。

「いかなる強制力もなしに人を個人として動かすもの。僕はそれを信義と呼ぶ。義務や名誉などという御題目に頼るなど、けして許せるものではない。人は、いまここにあるが故に、そうするだけなのだ」
「たとえ同じ過ちを繰り返しても――」
「過ちが罪となりうるのは、それを犯している意味に気づかない場合だけなのだ」新城は断定した。
「人は過誤からけして逃れられない。過てば義務の不履行を糾弾され、名誉にもとると非難される。しかし信義は汚れない。他のなにものからも傷つけられない場所にただある。だからこそ明日なにをなすべきかがわかる。同じことを二度繰り返して悪いという法はない」
「それが必要だと信じる限り」丸枝はすがるように言った。
皇国の守護者6』225頁

そして丸枝の口から出たのが「それが必要である限り」ではなく「それが必要だと信じる限り」という おそらく小心者で猜疑心が強いものの、どこか曲げられない信念を持つ新城にとって、何かを盲信することほど莫迦げたことも珍しいだろう。この言葉の一端から、新城が示した「信義」への厳粛なる思いが垣間見えた。新城が心の奥底で戦えることを愉しんでいた皇都内乱が集結し、発狂した佐脇に蓮乃が殺されたことを知った後述べた「僕は、屑だ」の言葉が、信じていた希望が潰えたかのように聞こえて、重々しい。

新城の内面について総じて振り返ってみると、新城には共感するところが非常に多かった。己が命を惜しみ、自己犠牲や献身を厭い、兵站など物質面を重んじ、精神論に走る輩を嫌い、慈悲深い一面があるのにそれをわかりやすくは表現しない、疑り深いのに、信義に対しては真っ直ぐな考えを持つ。私も我が身がかわいくて、自己犠牲に基づく勇敢さ、向こう見ずさを嫌う猜疑心の強い小心者だし、何かを信じることを重く受け止めたいから。