長谷敏司『BEATLESS』※アニメ版も併せての感想
最初に小説を読んだのも5年前、アニメも昨年から見始めて放置した挙句、見終わったのは本日。
- 作者: 長谷敏司
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/10/11
- メディア: 単行本
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ヒトとモノとの出会いと成長
『Beatless』は何と言ってもボーイ・ミーツガールを描いた作品である。より正確には、人間の少年遠藤アラトとhIE*1と呼ばれる一種のAIの少女であるレイシアのとのボーイ・ミーツ・ガールであり、より大雑把に言うとヒト(人間)とモノ(道具)のボーイ・ミーツ・ガールでもある。
本作を語るとき「アナログハック」という概念を避けては通れない。これはアルゴリズムの羅列によって行動するhIEに心、つまり独立した人格や内面を見出すというもので、この概念が人間の価値判断を行う内面を照射している。hIEが人間を危害から守ったり、人間に忠告したりするのは、そうプログラムされているからに過ぎないが、人間の側はそこに愛情や気配りのような感情が存在している、と見なすようなことである。
主人公であるアラトはレイシアと接する度にアナログハックに陥り、自他共に認める「チョロい」人間として作中において位置づけられている。こうした現象が起こるのは、人間が人間のカタチをしたものに対して一方的に愛着を見出すから、と作中では語られる。
その観点から見渡せば、hIEを徹頭徹尾モノ扱いする遼やケンゴの方がヒトがモノに取るべき姿勢として余程正しい。hIEは人間によって使われるモノでありながら、人間の手に余る人類未踏産物*2、神話で言うところのプロメテウスの火なのだから。その一方で、それでもhIEに心があると信じようとするアラトの方をこそ信じてみようという思いも一貫して持ちながら読んだ。
『フランケンシュタイン』に『われはロボット』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』そしてこの『Beatless』と読んでいくと、人造人間やロボットの類を人間が御しうるのか、あるいは持て余すのか、なかなか答えが出ないことを思い知る。
一方で、アラトが抱いた愛着が、無味乾燥なアルゴリズムの産物であるAIの諸反応に意味を付与する。ここに本作の独自性と人間愛を感じる。本作が並の作品より盛り上がったのは、アラトがレイシアの反応について無味乾燥なものなのではないか、という疑念と諦観を抱きつつ、最初に感じたレイシアの感情の存在を徹頭徹尾信じ抜いたから、ということに他ならない。
レイシアの「人間とは人体と道具と環境との総体」という定義した。これは人間が道具を用いて自分たちの生活の拠点を作り、その範囲を拡大する存在である、と解釈でき、本作の核心を突いていると言っていい。レイシアは他のレイシア級hIEと死闘を繰り広げることになるが、彼女らはそれぞれ人間を拡張するための道具、進化のアウトソース先としての道具、人間の競争に勝つための道具、環境を構築するための道具、オーナーの意思を実現するための道具などと自己を定義する。
人間は発展途上な生き物だから現時点ではhIEを信じ切ることはできなかったが、100年前よりは信じることができるようになってきているし、100年後はもっと信用できるはず。自らの不完全さを認めつつ、それを克服してより良い明日を目指すのは人間が人間たる証であろう。それを必要としない完全な生物(とやらが存在すれば、という仮定の話だが)にはできない特権である。完全であることはあらゆる変化の可能性を閉ざすことを意味するのだから。
BEATLESS本編の掉尾を飾るのはレイシアのAIを司るヒギンズの電源を停止させる際のアラトの以下の台詞である。
「人類が終わるんじゃない。僕ら人類の、少年時代が終わるんだ」
この台詞はboyとgirlがmanとwomanへと成長することを意味し、クラーク『幼年期の終わり』を意識したものであり、人間は進歩する生き物であるという祝福であるように思う。図らずもモノに過ぎないhIEに心を見出したチョロい少年が、人類の進歩の先駆者になったという不思議な形ではあるが。
アニメに関して
重厚長大な原作を2クールのアニメという枠内に収めたため、原作既読者からの評価が今一つだが、個人的には納得のいく仕上がりだった。さすがに総集編4回はやりすぎのような気がしたが。でも『機動戦士ガンダム00』や『楽園追放』などSFアニメに定評がある水島精二監督の作品であるせいか、こなれた印象は受けた。
特に気に入ったのはレイシア役の東山奈央氏による次回予告。
あなたはとてもチョロい人
目に見えるものしか見ない人
けれど、わたしの手を取れる人24話「Boy meets girl」の次回予告
可憐な少女の声色のレイシアの演技と、ニュースキャスターを思わせる淡々とした大人びたイントネーションの次回予告のギャップが素晴らしい。それゆえ、最終24話「Boy meets girl」の次回予告だけレイシアの声になったのは粋だと思った。