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全体主義

全体主義 (平凡社新書)

全体主義 (平凡社新書)


20世紀の専制政治である”全体主義”がどのようなもので、どのように語られてきたのかを論じた本。

今まで”全体主義”という用語はファシズム、ナチズム、スターリニズムを混同、捨象したものであったため、その危険性を明るみにするどころか、隠蔽するための文脈で使われてきた。著者は全体主義の恐ろしさ、というよりも”全体主義”という用語を都合良く用いる軽率さを戒める。

ファシズムは国家の自由と国家の内なる個人の自由のために生まれた反民主主義的、反実証主義的、反自由主義的、半社会主義的な体制です。よって全ては国家の内側に存在し、国家の外には如何なる存在も価値観もない。

ナチズムは国家社会主義とも呼ばれ、全権委任法により総統の最終意思が法そのものとなった体制である。ファシズム反自由、反民主的にもかかわらず、文書によって命令がなされていて立憲国家の体裁をとっていたことと様相を異にする。

ムッソリーニの解任も議会による法的手続で達成される。これを踏まえると、中央の口頭命令でユダヤ人の大量虐殺が行われたというナチズム体制との違いが鮮明となる。

スターリニズムスターリンによる独裁体制で、共産主義帝国主義の融合体であり、全体主義の一種として理解される。しかし、例えばナチズムが外国やユダヤ人に矛先を向け、何百万人を殺すために鉄道や化学薬品を用いた体制なのに対し、スターリニズムは鉄道や化学工場建設のため、強制移住や奴隷化、または赤軍粛清によって国内のソヴィエト市民何百万人を犠牲にした。

冷戦体制下、西側諸国ではファシズム、ナチズム、スターリニズムを”全体主義”という語で一括りにし、”自由世界”、”反共産主義”のための旗印とした。そもそもファシズムやナチズムが民主主義的、自由主義的体制の下で生まれたものであることを忘れて。そのため、アジア、ラテンアメリカから見た西側諸国の”反全体主義”は朝鮮戦争ヴェトナム戦争へのアメリカの介入にも見られるような帝国的秩序の正当化、合法化という側面もあった。

そして冷戦終結後、共産主義の敗北が明らかになると、”全体主義”の語は国家による市場への介入の最小限化を志す新自由主義体制を掲げる西側諸国を正当化する文脈で語られるようになる。こうして振り返ってみると、”全体主義”という用語は文脈によってその意味が変わる玉虫色の論争のための道具だったことに気付く。政治の破棄へと向かう根本的な新しさを語る政治理論としてはかけがえがなく、具体的な事件を分析し再構成しようとする歴史学的見地からは使用不可能であった。

そんな全体主義の理念は現実のファシズムやナチズムよりもジョージ・オーウェル1984年』に登場する「真理省」、「新語法(ニュー・スピーク)」、「ビッグ・ブラザー」の悪夢に似ている。私も全体主義という言葉の前に思考停止していた節があったので、自戒としても、新たな境地を見出すというためにも大いに参考になった。