20160917,18_水戸
こちらの続き。大洗のついでに訪れた水戸での観光記。
水戸城跡
大洗を出発し、再び水戸駅へ。まだ明るかったので、日本百名城の一つで、水戸徳川氏の居城であった水戸城跡を見学。倹約や質実剛健を旨とする歴代藩主の意向を反映してか、江戸時代を通じて天守閣が建設されなかったのが特徴。派手好きな尾張藩の名古屋城とは大違い。
写真は江戸時代から現存する唯一の遺構・薬医門。この門は現在水戸第一高校の敷地にある。
三の丸歴史通りは水戸第一高校前から水戸東照宮前までつながっており、通り沿いには藩校・弘道館、『大日本史』編纂が行われた彰考館、城郭を思わせる門や城壁が存在する学校がある。通りは現在も整備中。水戸市は文化財の保護やそれに付随する市街地の整備にも力を入れてほしい。
この夜はシネプレックス水戸にて『君の名は。』を鑑賞し、その後は駅前の漫画喫茶でブログ記事を書きつつ一夜を過ごす、など。
義公祠堂・水戸東照宮
この日(9月18日)は昨日とは打って変わっての悪天候。それでもせっかくの水戸市ということでいろいろ訪問することに。
水戸黄門として有名な2代藩主徳川光圀の生誕の地を表す碑と、彼を祀った義公祠堂。水戸駅北口近く、市街地の中にある建てられたこじんまりとした祠である。「義公」とは漢風の諡号*1。後で名前が出てくる9代藩主にして、最後の将軍・徳川慶喜の父でもある徳川斉昭の諡号は「烈公」。
ところで時代劇『水戸黄門』とは一味違う、史実に近い徳川光圀のことを知りたければ冲方丁『光圀伝』をお勧めします。面白いよ!(唐突な宣伝)
続いて水戸東照宮。初代藩主で光圀の父にあたる徳川頼房が東照大権現こと徳川家康を祀るために建てた全国にある東照宮の一つ。本殿は戦後に再建されたものだが、東照宮だと言われれば頷けるだけの雰囲気はある。構内はポケモンGOは禁止していないが、ドローンは禁止らしい。
弘道館
前日に行こうとしたが、閉館してしまっていたため藩校弘道館へ。徳川斉昭が幕末に建てたもので、孔子廟や鹿島神宮から勧請した鹿島神社を館内に設置するなど、広大な敷地を持つ日本最大の藩校だった。会沢正志斎や藤田東湖を師とし、藩政改革やペリー来航後の幕府の海防政策に従事した斉昭の熱意が窺える。
中は資料館になっており、正殿(本館)は補修によって原形を保ちつつ、建設当時の姿を残している。また、敷地内には偕楽園同様梅の木が多く植えられている。会津では藩校日新館に寄れなかったので、こうして弘道館を訪問できたのは嬉しい。
偕楽園・常盤神社・千波公園
次は金沢の兼六園、岡山の後楽園に並ぶ日本三大庭園の偕楽園。弘道館同様こちらも徳川斉昭が造園したもので、家臣や領民と共に日々の疲れを癒し、偕(とも)に楽しむという斉昭の心意気が表れている。
その前にまずその隣にある光圀と斉昭を祭神とする常盤神社へ。ポケモンGOへの態度は写真のように柔軟な姿勢を取る方が水戸藩らしい。一概には言えないことだろうが、頭ごなしに否定しない方が時宜に適っていると思う。ラーメンやチーズの他、ワインを嗜んだという光圀はもちろんのこと、尊王攘夷派として有名な斉昭も西洋文化自体には関心が強かったそうだし。ついでに併設の小さな博物館・義烈館で二人の藩主に所縁のある文物を見学する。
併設のレストランで食べた光圀ラーメン。明の遺臣で光圀の学問の師になった朱舜水がもたらしたというレシピを再現したものらしい。蓮根の粉末の入った麺に、薬味の効いたシンプルな醤油ラーメンという印象。
というわけで、3000本100品種の梅の木が立つという園内へ。まさに日本庭園の模範。雨が降っていたことで、かえって雰囲気が出ていた。
以下の写真の建物は斉昭自ら設計したという好文亭。水戸東照宮と同様戦後に再建されたものだが、こちらは江戸時代の建築法が再現されており、重厚で風格のある日本家屋の佇まいがあった。
偕楽園自体、丘の上にあったため、好文亭2回からの眺めは格別だった。2~3月、梅の花が咲く頃には絶景を眺めることができたろう。
帰途に就くため水戸駅へ向かう際に通った途中千波湖沿いの千波公園には野鳥がいっぱい。鴨のほか、白鳥や黒鳥(ブラックスワン)が多かった。
今回の水戸観光を通じて大きく見方が変わったのは、徳川斉昭の評価。井伊直弼にマークされて蟄居に追い込まれた過激な尊王攘夷派というイメージが強かったが、弘道館や偕楽園の創設のように、カリスマ性のある政治家としてだけではなく、文化人としても一流で、今でも光圀と並んで水戸市民に慕われているのも頷ける。
土浦市にも寄りたかったが、ご覧のとおり天気に恵まれなかった上に、疲れていたので断念。寄った暁には亀城公園や蓮根料理を楽しみたい。
*1:中国の歴代君主の生前の業績や人柄を示すために死後送られる